楽曲紹介「エル・キャピタン(El Capitan)」
Tb.パートの大槻です。
カテゴリ「楽曲」では、当団で取り上げている楽曲の紹介をしていきます。
記念すべき1回目は、我々が取り組んでいる曲より、マーチ「エル・キャピタン」をご紹介します。
マーチ「エル・キャピタン」は、ジョン・フィリップ・スーザJohn Philip Sousa(1854-1932)が1896年に作曲しました。この年、スーザは同名のオペレッタを作曲しており、その中から曲を選び出してマーチにしたものだということです。
スーザといえば言わずと知れた有名なアメリカの作曲家、指揮者です。生涯に100曲以上のマーチを作曲しており、「雷神」「星条旗よ永遠なれ」「ワシントン・ポスト」など、そのいずれもが世界に知られた名曲ばかりです。ヨハン・シュトラウス2世が「ワルツ王」と呼ばれたのをもじって、「マーチ王」と呼ばれるようになりました。
ところでスーザには、楽器のスーザフォーンを考案した、小説や自伝を書いたなど、マーチ以外の顔もあります。今日はオペレッタの作曲家としてのスーザを見ていきましょう。

スーザとオペレッタ
オペレッタはオペラを庶民化したものです。当時アメリカではギルバートとサリヴァンのオペレッタが話題になっていました。ギルバートWilliam Schwenck Gilbertert(1836年 - 1911年)はイギリスの戯曲家です。作曲家サリヴァンSir Arthur Seymour Sullivan(1842年- 1900年)と組んでオペレッタを作りました。彼らの作品は「コミック・オペラ」と呼ばれ、イギリスおよびアメリカで数多く上演されていたそうです。
一方スーザは13歳のときからワシントン海兵隊楽団で活動していましたが、ギルバートとサリヴァンの影響もあって、そのキャリアの早い段階からオペレッタにも関心を抱いていたようです。 オーケストラや劇場でバイオリニストとして活動し、ついには自分でも台本作家を探すようになりました。 しかし、最初の作品「キャサリンKatherine」は未発表に終わり、続く「フローリンFlorine」も中止、「密輸業者The Smugglers」では資金繰りの危機など、出だしは順調とは言えなかったようです。
「デジレDesiree」(1884年)で、ようやく役者を得てスーザのオペレッタは軌道に乗り出しました。しかし今度は、海兵隊楽団のリーダーとして生活が多忙な上、役者とのトラブルもあり、スーザは舞台から離れて楽団の指揮とマーチの作曲に専念するようになります。そして「デジレDesiree」から12年、ようやく次作「エル・キャピタン」にたどり着いたのでした。
スーザは生涯に10作ほどのオペレッタを作りました。「エル・キャピタン」をはじめとして作中で使用した旋律をマーチにしたものは、今も引き継がれています。
オペレッタ「エル・キャピタン」とは
「エル・キャピタン」は1896年に作られた3幕もののオペレッタです。「El Capitan」はスペイン語なので「エル・カピタン」が元々の発音。「キャピタン」は英語読みですね。
脚本はチャールズ・クレイン。チャールズ・クレインCharles Klein (1867-1915)はロンドン生まれですが、16歳のときに劇作家になるべくアメリカに渡りサイレント映画や戯曲の小説化も手掛けるなどの活動をした人だそうです。
音楽はフィリップ・スーザ。歌詞はトム・フロストとするサイトが多いですがスーザも関わっていたようです。「エル・キャピタン」の台本とその解説によると「スーザとトーマス・フロストの共同作詞」co-lyricist (with Thomas Frost)となっています。
「エル・キャピタン」は「デジレ」に出演したデ・ウルフ・ホッパーが話を持ちこんだもので、1896年に初演に漕ぎつけました。ブロードウェイのほか、カナダやロンドンでも4年以上にわたり公演され、スーザとしては最大のヒット作となりました。ミュージカルの歴史家ジェラルド・ボードマンGerald Martin Bordman(1931-2011)は「19世紀で最も不朽のアメリカン・コミック・オペラ」と評しています。
ちなみに「エル・キャピタン」と聞いて思い浮かべるのは、カリフォルニアのヨセミテ渓谷にある高さ900メートルの巨岩のこと。岩の「酋長」という意味で命名されたそうです。1851年のことなので岩のほうが"先輩"ですが、今回のお題「エル・キャピタン」は反乱軍の「リーダー」という意味であって、岩とは関係はなさそうです。
「エル・キャピタン」のあらすじ
「エル・キャピタン」の舞台は16世紀のペルーです。当時、アンデス山脈一帯はペルー副王領と呼ばれるスペインの統治下にありました。前総督ドン・カザロが解任されて、ドン・メディグアが次のペルー総督としてスペインから赴任することになりました。しかしドン・メディグアは、追放されたことを根に持つカザロや反政府軍に殺害されるリスクを抱えていました。
折から、カザロが反乱軍のリーダーとして雇ったばかりの勇士:エル・キャピタンが死にます。そこでメディグアは一計を案じます。メディグアは、部下の男を身代わりに立て、自身はエル・キャピタンに変装し反乱軍に潜り込んだのです。これは、反乱軍が勝つならばエル・キャピタンとして身の安全を図れるし、 スペイン軍が勝つならば提督に立ち戻り反乱軍を一網打尽にできる、という大芝居でした。
でもメディグアが変装を解いて総督に立ち戻った時に、ついでに浮気もばれてしまうのですが…
「エル・キャピタン」の歌詞
マーチでは、オペレッタから3曲が選ばれています。違う曲をつないだため、前半は8分の6拍子、後半は4分の2拍子というマーチになってしまいました。
「諸君が見るこの私はYou See In Me」
復権をたくらむ前総督カザロと反乱軍が総督の宮殿に押しかけてきます。メディグアを逮捕するためです。メディグアは勇猛で知られる傭兵エル・キャピタンになりすまし、反乱軍側に芝居を打ちます。
この場面で主人公が歌うのがこの歌です。メディグアは反乱軍に信じ込ませるために、「You see in me, my friends,わが友よ」と語りかけています。自分は勇者であり、「To free the world from all slavery.この世をまったくの奴隷の世界から解放するために」戦おうとしているのだ、と歌います。そして「Crush out Spanish knavery.スペイン騎士団を粉砕しよう」、自由のために武器をとれ、とその場にいる一同をけしかけます。この歌は第1マーチの部分です。
「エル・キャピタンを見よ!Behold El Capitan」
エル・キャピタンに変装したメディグアがなおも反乱軍の前で歌い続けます。「He is the champion beyond compare…エル・キャピタンこそは比類なき勇者…」、俺には微塵も怖れはない、と大変勇ましい内容です。そしてドン・メディグアの仲間どもを追放する、と歌います。居合わせた一同は、これを聞いて大歓声、という場面です。この歌は第2マーチの部分です。
「エル・キャピタンにどうか寛大なご処置をWe Beg Your Kind Consideration」
3つめはフィナーレの曲です。マーチのtrioの部分に当たります。メディグアが変装をやめて正体を明かしたついでに浮気が発覚してしまうのですが、彼の勇気と知恵に免じて浮気は許してあげてほしいという歌です。「Forgive his many weaknesses彼の弱さを許し」、「And love him if you can.できるならば彼を愛してください」と低姿勢に出ることで、女性側からお許しが出ます。
マーチの最後は大変に勇壮で、「Unsheath the sword, let the banner fly剣を抜き、旗を飛ばせ」、「For duty calls, we will win or die.為すべき責務の前には、勝利か死あるのみ」、といった歌詞が並びます。「為すべき責務」とは、植民地の反乱を抑えること。作曲当時の時代感覚を反映したものになっています。
以上、「エル・キャピタン」の歌詞を見てきました。演奏会でマーチ「エル・キャピタン」を演奏するときは合唱付きで、という新趣向はいかがでしょうか。
米西戦争と「エル・キャピタン」
このマーチの作曲から2年後、1898年にアメリカとスペインとの間で敵対意識が急速に高まり、米西戦争が勃発します。 アメリカはこの戦争において、フィリピンやキューバなどの現地の独立運動勢力を味方につけて有利に戦いました。 この戦争はアメリカの勝利で終わります。その結果、スペインの植民地はアメリカが獲得あるいはアメリカの保護国とすることとなりました。
「エル・キャピタン」はスペインが植民地ペルーを抑えるというストーリーですが、「To arms…For liberty!武器を取れ…自由のために!」、 「Crush out Spanish knavery.スペイン騎士団を粉砕しよう」など、反乱軍をけしかける歌詞も出てきます。「エル・キャピタン」は偶然にも当時のアメリカ社会にとってタイムリーな作品だったのです。 マニラ湾海戦でスペインを破ったアメリカ艦隊・デューイ提督の旗艦オリンピア号のバンドがこのマーチを演奏したことを、スーザは大変喜んだ、と言われています。
スーザ自身もこの作品を愛好し、コンサートにおいて何度も演奏していたそうです。楽譜も、ピアノ独奏・吹奏楽・管弦楽、さらにはピアノ4手・ピアノ6手とさまざまあるところからも、スーザのこの曲への思い入れの強さが想像できますね。