楽曲紹介「羊飼いの歌(The Shepherd's Song)」

Tb.パートの大槻です。
カテゴリ「楽曲」では、当団で取り上げている楽曲の紹介をしていきます。
第2回目は、「羊飼いの歌(The Shepherd's Song)」をご紹介します。

 「羊飼いの歌」はジョゼフ・カントルーブJoseph Canteloube(1879-1957)が発表した、曲集『オーヴェルニュの歌』の中の1曲です。
 曲集の題名であるオーヴェルニュとはフランス中南部にある一地方のことです。 「羊飼いの歌」は、オーヴェルニュのはずれに位置する小さな町・ヴィック=シュル=セールVic-sur-Cereに伝わる民謡を基にして作られた曲です。 風光明媚なフランス中央高地の風景を彷彿とさせるこの曲は、そのすばらしいオーケストレーションとともに大変有名になりました。 今日はフランスののどかな片田舎を探訪しましょう。

オーヴェルニュ地方

 オーヴェルニュはフランス中南部に位置する地域です。地図で見ますと、フランスの国土のほぼ中央にあります。 このあたりは中央高地と呼ばれる山がちな地域で、1500メートルを超える山が数多くあります。また、クレルモン=フェランを除いては、目立った大きい町もありません。 開発が遅れている反面、「よき田舎」として豊かな自然が残されています。 火山あり湖ありの風光明媚な高原に緑豊かな牧草地が広がり、メルヘンチックな想像を掻き立てるにはぴったりの土地柄です。 湧き水「ボルヴィック」でも有名ですので、日本ではこちらの方が馴染みがあるかも知れません。

カントルーブとオーヴェルニュ

 カントルーブはフランスの アルデシュ県アンノネ(アノネー)で生まれました。 幼少からピアノを習い始め、バカロレア(フランスの国家資格)を取得するほどの腕前でした。銀行に勤めたあと音楽家に転向し、作曲家・音楽学者として活動しました。 初期の作品としては、組曲「山岳にて Dans la montagne」など、声楽、弦楽四重奏、管弦楽のための作品があります。

 カントルーブの活動は音楽という枠には留まりませんでした。 1925年には数人のオーヴェルニュ出身の若者たちと文化団体「ラ・ブレ(La Bourrée)」をパリで旗揚げしています。 民謡などの文化や美しい景勝地など、故郷のすばらしさを広めるのはカントルーブのライフワークだったのです。

 カントルーブは音楽学者としても活動し、伝統的なフランス民謡を採譜して出版したことで、後世に影響をもたらしました。 その活動は、農民の唄は情緒や表現においては最も純粋な芸術の水準にまで到達している、という信念によって支えられていました。 カントルーブは農民の唄に優れた芸術性を見出し、高く評価していたのです。 カントルーブは、早くから故郷の民謡の収集・研究にはげみ、 1907年に「オーヴェルニュ高地とケルシー高地の民謡」(2巻)を発表しました。 その後も「5つの農民の歌」、「続農民の歌」、「オーヴェルニュ高地の宗教歌」などの刊行により、 オーヴェルニュからバスク地方にかけての南仏一帯の民俗音楽の権威とみなされるようになります。

『オーヴェルニュの歌』

 カントルーブは1923年から1930年にかけて、故郷であるオーヴェルニュ地方の民謡を集めて回りました。 その中から曲を選び、オーケストラ伴奏による歌曲にしたものが、この作品です。 第1集(3曲)、第2集(5曲)、第3集(5曲)は1924年に発表されました。第4集(6曲)は1930年。 そして第5集(8曲)が発表されたのは1955年、死の2年前のことでした。 『オーヴェルニュの歌』Chants d'Auvergneはカントルーブが30年以上を費やした労作であり、故郷に対する情熱の結晶というべき作品なのです。

 ちなみにオーヴェルニュ地方の民謡には、歌謡だけのものと踊りを伴うものの2つがあります。 歌だけのものはグランド(Grandes)と呼ばれており、収穫時や牛・馬を使って畑仕事をする時に歌われていたものです。 一方、踊りを伴うものはブーレー(Bourree)と呼ばれています。オーヴェルニュ地方独自の速い2拍子の舞曲で、17世紀からあるそうです。 ブーレーという題名の曲は、ヘンデルやバッハも作曲していますが、この地方の舞曲に基づいたものであるわけです。 オーヴェルニュ地方の民謡は羊飼いか貧しい農民、特に前者の生活を主題とするものが大半を占める点が特徴だということです。 昔から牧羊が盛んな地域だったんですね。

「羊飼いの歌」

 「羊飼いの歌」は『オーヴェルニュの歌』の第1集に収められ、曲集での曲名は『バイレロ(baïlèro)』となっています。 バイレロとは、羊飼いが遠くの人に呼び掛けるための掛け声です。 「baïlèro lèrô. Lèrô, lèrô, lèrô, lèrô, baïlèrô, lô! 」というように、歌詞の途中にも何度も聞こえてきます。 スイスのヨーデルの掛け声と同じですね。ヨーデルは「ヨロレイヒー」ではなくて、実は「yodel-la-hee-hee-hee」です。さて、バイレロはどう聞こえますか。

 原曲は羊飼いの笛やハーディ・ガーディ(弦楽器の一種)、バグパイプといった単純な楽器で伴奏されるものだそうです。 カントルーブはその特色を残しながらも、色彩感あふれるオーケストレーションで編曲しています。

 羊飼いの笛って、牧羊犬に「ホレ,右 !」「左 !」とか指示するための笛ですよね。 ハーディ・ガーディは古楽器で、キーが付いた弦楽器。どちらも日本では見かけないものです。 カントルーブの曲ももちろんすばらしいですが、素朴な原曲も聴いてみたい気がします。きっと、また違う味わいのはずです。



 歌は、通常ソプラノ独唱で、歌詞はオック語です。民謡なので方言交じりだということです。 歌詞は、村娘が川向こうの羊飼いの男に呼びかけると、それに羊飼いが応えるという具合に進みます。対話の形で恋心を歌っているのです。

 歌の中で、村娘は遠くにいる羊飼いに「退屈でしょ?」とか、「こっちは良い場所よ」などと呼びかけます。お目当ての羊飼いに、そばに来てもらおうという訳です。 羊飼いの方は村娘の心を知ってか知らずか、「こっちのほうが良い場所だよ」と応じます。 でも二人の間には川が流れていて、二人の出会いを邪魔します。さてさて、二人はどうするかな。

 いつの世も、若い二人にとって恋を語らう場所の確保は重要な課題のようです。それにしても、やさしい羊飼いさん…。 きっと、二人のやりとりはこの後も延々と続き、うららかな日は容易に暮れず、恋人たちをいつまでもいつまでも見守っていたことでしょう。

 この歌はとても短いですが、短いがゆえに歌詞にない部分をいろいろと想像できる良さがあります。 微笑ましいやりとり。初々しい恋の駆け引き。たくさんの羊さんと片田舎の風景。そよぐ風。ゆったりとした時の流れ。 そして、想い合う二人を包み込む豊かな草地と静かな時間。それは楽園・オーヴェルニュにしかないものです。 歌の中の二人の姿がオーヴェルニュの景色に溶け込んで一体となったような味わいがあります。 これこそが、この歌が歌い継がれ、またカントルーブが曲集にも取り上げるに至った理由ではないかと思うのです。

カントルーブとオック語

 いままでの話の中で「オック語」という言葉がでてきましたが、 「オック語」とは南フランスやイタリアの一部などで話されている言語のことです。

 フランスは古い時代において、南からローマ人、北からゲルマン人の影響をうけてきました。 このため言語についても、北フランスではいわゆるフランス語、南フランスではオック語が用いられてきました。フランスにはこのほかにも、バスク語やカタルーニャ語など、さまざまな地方言語があります。

 そんなフランスが一つの国にまとめられたのは17世紀のことです。それ以来、標準語としてのフランス語を広める政策が取られてきました。 しかし、現代でも地方言語は数多く残されており、フランスは典型的な多言語国家であるということです。

 オック語の話者が暮らす地域は人口が1400万人程度ということですから、フランス全体の2割程度に該当します。 しかし、オック語の話者そのものは80万人に過ぎず、高齢化し、減少傾向であるそうです。 言語は地域文化や個人のアイデンティティに直結する大切なものです。 話者が減少するオック語をいかにして次の世代に引き継ぐかが、社会的な課題となっています。

 オック語の危機に一石を投じるのがカントルーブの功績です。 カントルーブは「羊飼いの歌」を初め、多くのオック語の歌を採譜して保存し、作品にも取り上げてきました。また、1925年にはオペラ「農場(Le Mas)」をオック語で書いて、ウージェル賞を獲得しています。 カントルーブは強い郷土愛によって作品を生み出し、現代への架け橋となる役目を果たしました。言い換えると、オック語文化を保存し、その価値を高める活動の先駆者でもあったのです。