楽曲紹介「春の声(Frühlingsstimmen)」

Tb.パートの大槻です。
カテゴリ「楽曲」では、当団で取り上げている楽曲の紹介をしていきます。
第3回目は、「春の声(Frühlingsstimmen)」をご紹介します。

 「春の声」は、ヨハン・シュトラウス2世が1882年に作曲したワルツです(1883年とする文献も多く見かけます)。 ヨハン・シュトラウス2世(1825-1899)といえば、ご紹介するまでもないクラシック音楽の大家です。オーストリアのウィーンにおいて作曲家・指揮者として活躍しました。 今回は華麗なるワルツが奏でられた19世紀後半のウィーンの世界を探訪します。

「ワルツ王」ヨハン・シュトラウス2世

 シュトラウスの家系は150年にわたり、代々何人もの音楽家が出ています。このため「シュトラウス王朝」の異名をとるほどでした。 「王朝」の始祖は、かの「ワルツの父」ヨハン・シュトラウス1世です。「アンネン・ポルカ」や「ラデツキー行進曲」を作曲した人ですね。

 ヨハン1世には妻アンナとの間に6人の子どもたちがいましたが、長男がヨハン2世です。親子共に「ヨハン」。親子で同じ名前って不便はなかったのでしょうか。 ちなみにシュトラウス家の家系図をみるとヨハンとヨーゼフが何人もいて、大変わかりにくいです。

 ヨハン2世は18歳でコンサートデビューし、その後は名曲を次々と発表します。 「美しく青きドナウ」、「ウィーンの森の物語」、「皇帝円舞曲」など、広く知られた曲ばかりです。 ヨハン2世は「十大ワルツ」と称されるワルツの名曲を数多く作曲したほか、オペレッタやポルカも残しました。

 華麗なるワルツ王、ヨハン2世は社交界でも花形でした。活躍は国外にも広がり、ヨーロッパはもちろん、アメリカにおいても人気を得ました。 特に地元ウィーンにおいて人気は絶大で、知らない者はいないほどの有名人でした。皇帝よりも有名という意味で、「ウィーンのもう一人の皇帝」といわれるほどだったそうです。

 ヨハン2世は、ヴァイオリンを演奏しながら指揮をすることもあったと伝えられています。作曲家、演奏家、指揮者としてマルチな才能を発揮していたんですね。 死後、ウィーンの市立公園に金色の像が作られましたが、この像でもヨハン2世はバイオリンを構えています。この像はウィーンの観光名所としておなじみです。

ウィンナ・ワルツとは

 ワルツの元になった音楽は、ドイツの南部で踊られていた3拍子の舞曲だそうです。19世紀になるとウィーンでも流行し、ヨハン1世によっていわゆるウィンナ・ワルツとして確立されたとのことです。 ウィンナ・ワルツは二拍めが早めに入る、傾いた拍子が特徴です。ウィーンという都会で洗練されて独特の発展を遂げてきた音楽なんですね。 ちなみに、この独特のリズムは20世紀になってから始まったもの、とする説もあります。

 時代と共に変形してきたワルツですが、舞踊としてのウィンナ・ワルツはどのようなものでしょうか。 調べてみると、社交ダンスの世界では、ヴィエニーズワルツViennese Waltzというのがあって、これがウィンナ・ワルツのことのようです。ヴィエニーズワルツのテンポは1分あたり58-60小節くらいが基準のようです。 1小節あたり3拍ですから、58小節なら58小節x3拍=174拍、60小節なら60小節x3拍=180拍となります。 一般に、楽典の「テンポ・デ・ワルツ」は 144-166拍ですので、これよりも速いことになります。

 これに対して、テネシーワルツのような一般の「ワルツ」はテンポが28-30小節とのことです。 してみると、ウィンナワルツは、かなり溌剌とした素早いダンスのようです。ワルツというと優雅なイメージがありますが、意外ですね。かなり汗をかきそうです。

「春の声」

 「春の声」はヨハン2世が57歳のときに書いた作品です。 この曲の作曲当時は、3回めの結婚に向けて進行中の時期だったようです。そのためか、この曲の生き生きとした曲調については、結婚に絡めて説明されることが多いようです。 ヨハン2世は、5年後に改宗ばかりか国籍まで変えてこの結婚を成就させています。ヨハン62歳。お相手は26歳。まさに恋と芸術に生きた生涯ですね。

 この曲には歌曲のほかに管弦楽版もありますが、初演はオーケストラをバックにソプラノ歌手が歌う形で行われ、大成功を収めました。 コロラトゥーラという、細かく速い音符で装飾した歌い方は、軽やかにして華麗。春のイメージにぴったりですね。

 歌詞はリヒャルト・ジュネが書いたものだそうです。 フランツ・フリードリヒ・リヒャルト・ジュネFranz Friedrich Richard Genée (1823年-1895年)はプロイセンの生まれです。 プロイセンは、この時代に、現在のドイツ・ポーランドに相当する地域にあったドイツ人の国です。 ジュネはオーストリアで台本作家、劇作家、作曲家として活動した人で、リチャード・ジェニーとして紹介されていることもあります。 ジュネが手がけた作品のうち一部をご紹介すると、ヨハン・シュトラウスのオペレッタ「こうもり」の台本(1874年)や、スッペのオペレッタ「ファティニッツァ」の台本(1876年)などがあります。

 歌詞を簡単に紹介しますと、春が来てヒバリが舞い、解放感とよろこびがあふれるという内容です。 朝がくるとヒバリが歌い、夜もナイチンゲールが甘い調べを奏でるといった歌詞になっています。朝と晩を対応付けて一日中歌声が聴こえるということで、実に春らしい伸びやかさがあります。 ナイチンゲールという鳥は昼夜関係なく、夕暮れ後や夜明け前にも鳴くそうで、鳴き声の美しいことで知られています。ヨーロッパでは春を象徴する鳥であるとのことです。

音楽の都とヨハン2世

 ウィーンといえば音楽の都。600年にわたりハプスブルク家の帝都として栄えた町でした。 19世紀後半のウィーンは、都市改造や人口の流入でロンドンやパリに並ぶ都市に成長し、 優れた文化が花開いていました。ヨーロッパ各地からさまざま才能が集まリ、カフェ、サロン、ジャーナリズムなど、知識人や中産階級が芸術に親しむ環境が整っていきました。 こうした中でワルツを初めとする軽音楽も広く迎え入れられていったのでした。ウィーンの市民たちは足しげくヨハン2世の演奏会に出かけたことでしょう。

 次々と名曲を放ったヨハン2世。しかも作曲家自身の指揮での初演が聴ける。 今に伝わる名曲の誕生の瞬間にリアルに立ち会えるのですから、当時のウィーンは本当にすごい場所だったんですね。