「パソドブレ」Paso Doble
Tb.パートの大槻です。
カテゴリ「関連情報」では、では、当団で取り上げている楽曲に関連するマメ知識をご紹介していきます。
第1回目は、「パソドブレ」をご紹介します。
「パソドブレ」はスペイン発祥の音楽文化です。それはスペイン人にとって伝統であり誇りでもある大切なもの。
日本人にとっての演歌と同様に、スペイン人の心の琴線に触れる音楽なのです。 今回はヨーロッパの西の果て・スペインの音楽「パソドブレ」を探訪します。
パソドブレには音楽と舞踊があります。順に見てみましょう。
音楽としてのパソドブレ
演奏シーンに合わせていくつかの種類があります。
マーチ・パソドブレ
「軍事(ミリター)パソドブレ」とも呼ばれるものです。これにはさらに二つの種類があるようです。
一つは軍において歩兵の行進のために作成されたもので、テンポが速く歌詞もありません。
もう一つは、歌詞がついているものです。こちらは国家意識高揚のために作られたものらしく 愛国的な歌詞がついていたりします。
軍のバンドの演奏に合わせ、ステージと観客が一体になって合唱するものです。 「Las Corsarias」という曲がありますので、聴いていただくとイメージがつかめるかと思います。
タウリン・パソドブレ
タウリンはタウリーノとも言います。これにも二つの種類があるようです。
ひとつは、闘牛場で演奏されるものです。 テンポはマーチ パソドブレよりもゆっくりです。曲想は劇的で、歌詞もありません。
このパソドブレは、闘牛士の入場時(パセオ)や闘牛を殺す直前の場面(ファエナ)などで演奏されるものです。
日本でパソドブレというと、このイメージではないでしょうか。 「プラザ・デ・ラス・ベンタス」あたりが参考になるかと思います。
ラス・ベンタス闘牛場Plaza de Toros de Las Ventasはマドリードにあり、闘牛場としてはスペイン国内最大級のものです。
もうひとつは、闘牛をテーマにしたものです。こちらには歌詞があります。
具体的には、闘牛の場面を思い起こさせるものや、 闘牛文化や優れた闘牛士を讃えるもの、闘牛士の無事を祈る周囲の人々の心情を歌うものなどさまざまです。
ポピュラー・パソドブレ
内輪のお祝いや社交の場など、何人かの人が集まる場で歌い踊るために作られた曲です。
一般に曲調は明るい傾向ですが、メランコリックまたは愛国的な歌詞の場合は感情的で内省的なものもあるそうです。
お勧め曲は「Valencia」か「Sombreros y Mantillas」あたりです。
バンド・パソドブレ
守護聖人のお祭りなどの伝統的なイベントや、地域のビッグイベントで演奏されるものです。
屋外でのパレードや大ホールのステージで、フルバンドで演奏されます。 曲のテーマはイベントの目的に合わせたものが取り上げられるようです。
地域のイベントであれば、その地域を讃えるものや、その地域の功労者・有名人などが曲のテーマになります。
さまざまなパソドブレがあることがご理解いただけたかと思います。パソドブレは闘牛だけの音楽ではありません。本当にスペインでの暮らしに密着した音楽なんですね。
舞踊としてのパソドブレ
社交ダンスの世界ではパソドブレはラテンダンスの一つになっています。 テンポは1分あたり60~62小節が基準です。
サンバやチャチャチャなど他のラテンダンスに比べても、パソドブレはかなり速くてハードなダンスです。
実際、パソドブレは最も速いラテン社交ダンスの1つとして知られているそうです。
ダンスの主役は普通女性側ですが、パソドブレの場合は男性側が主役であることが特徴です。
男性側は闘牛士をイメージしています。これに対して女性側は闘牛のときに使う赤いケープか闘牛士の影のイメージです。
キレのある動作はもちろん、後ろに大きく反ったり、一つ一つのポーズが情熱的で劇的ですよね。
ダンスの場合、ハイライトというポーズを決める箇所が3つ組み込まれた構成がとられます。
ちなみに、パソドブレのリズムは通常4分の2拍子です。しかし、4分の3拍子や8分の6拍子のものもあるようです。3拍子の場合、1小節で3歩というダンスになります。
パソドブレの起源として、セギディージャという古い3拍子の踊りが関係しているという説もありますので、その流れを汲むものなのかも知れません。
パソドブレの起源
長い時間をかけて、複数の要素を取り入れながら変遷を重ねてきたパソドブレですが、その起源については諸説あり、決着がついていないようです。
スペイン古典舞踊が起源であるとする説
16世紀中頃にスペイン土着の音楽と舞踊からパソドブレが発生したのではないかとする説です。
リズムと体の動きから判断して、カスティーリャ地方の音楽や舞踊とロマ(ジプシー)の踊りが合体してできたものであろう、としています。
カスティーリャはイベリア半島の中央部を占める地域のことで、その名もカスティーリャ王国という国がありました。
軍隊を起源とする説
パソドブレは軍の行進速度が起源であるとする説です。それによると、「パソドブレ」は「Paso Doble」と書きます。
つまり二倍の速さで歩く、という意味だというのです。 スペイン軍の行進速度は毎分60歩を基準として、その二倍の速さは毎分120歩となります。
これを「Double Step」といい、この行進リズムからパソドブレが生まれた、としています。
この行進速度はフランス軍の行進速度に由来しているという説明です。
18世紀、フランス(ブルボン王家)は姻戚関係を利用してスペイン王座も獲得していましたので、 フランス軍の影響があったとするのは説得力のある説です。
軍隊と演劇を起源とする説
これは音楽学者のホセ・スビラJose Subira (1882-1980)の説です。軍の行進曲と大衆演劇の音楽が融合されてパソドブレになった、としています。
スペインの大衆演劇には、アントレメス (Entremésアントルメ) やサイネット(sainete)がありました。
アントレメスは16 ・17 世紀ころに劇の幕間に演じられた1幕ものの喜劇です。またサイネットは18世紀以降に庶民に人気があった音楽付きの1幕劇です。
こうした大衆劇の中で、歌舞曲としてパソドブレが演奏されるようになったということです。
随分色々な説がありますね。果たして真相はどうなのでしょうか。
1780年頃のパソドブレの楽譜が残っているので、18世紀後半にはパソドブレが定着していたことだけは確かだそうです。
変わりゆくパソドブレ
19世紀になると、パソドブレが闘牛に導入されるようになりました。
闘牛士(マタドール)たちが闘牛場に入場したり、ムレタという赤い布で華麗に牛をあしらうときに パソドブレが演奏されて、闘いを盛り上げます。
この結果、古典舞踊や演劇の音楽、あるいは軍の行進曲だったりという、パソドブレ本来の性格は色褪せてしまいました。
現在では、パソドブレといえば闘牛のイメージになっています。
20世紀になるとパソドブレは新しい分野で発展していきます。
一つは社交ダンスです。
当初パリで流行したときは「スパニッシュ・ワンステップ」という名前でしたが、1930年台にはパソドブレはダンス名として定着したということです。
1932年に作曲されたパスカル・マルキーナ・ナロPascual Marquina Narro(1873-1948)の『エスパーニャ・カーニEspaña cañí』などは、
現在でも社交ダンスのスタンダード・ナンバーとして踊られています。
もうひとつはポピュラー・パソドブレやバンド・パソドブレのような娯楽やイベントの分野です。
ポピュラー・パソドブレは生活の一部としてスペイン人の心を歌い上げる音楽です。 演奏の形式やバンドの編成もさまざまです。
長いソロがあったり、ラテン風の陽気なリズムがついていたり、用いられる楽器もギターやアコーディオンなど、バンドにより違います。
一般に歌詞があり、少数の楽器と演奏家が演奏することが多いようです。
一方、バンド・パソドブレですが、スペインではこの種類のパソドブレは近年非常に活発に演奏されているそうです。
動画を検索するとオーケストラさながらの大編成で演奏しているものなどを見ることができます。
日本でパソドブレに触れる機会があるとすれば、社交ダンスかアイスダンスでしょうか。
ブルースカイでも、パソドブレを時々演奏しています。
パソドブレをきっかけにしてスペインについて理解が進むと、それはすばらしいことですね。