楽曲紹介「ホフマンの舟歌(Les Contes d'Hoffmann)」
Tb.パートの大槻です。
カテゴリ「楽曲」では、当団で取り上げている楽曲の紹介をしていきます。
第5回目は、「ホフマンの舟歌(Les Contes d'Hoffmann)」をご紹介します。
「ホフマンの舟歌」はオッフェンバックJacques Offenbach(1819-1890)作曲のオペラ「ホフマン物語」(1881年)の中の1曲です。
正式な題名は、「美しい夜、おお 恋の夜よBelle nuit, ô nuit d'amour」です。これは歌詞の冒頭部分に由来します。
ソプラノとメゾソプラノの二重唱でゆったりと歌いあげられる愛の世界はとてもロマンチックです。
今回はヴェネツィアのゴンドラに乗った気分で楽曲探訪にでかけましょう。
舟歌(バルカロール)とは
もともと舟歌とは、船頭さんが舟をこぐときに歌う歌です。
音楽の世界でも、6/8拍子または9/8拍子による単純なリズムの上にメロディーが乗った曲のことを舟歌と呼ぶようになりました。
繰り返しのリズムが波間を揺れる雰囲気を作り、ロマンチックな名曲が多いです。
メンデルスゾーンの「ヴェネツィアのゴンドラの歌」などが知られていますが、 オッフェンバックの「ホフマンの舟歌」は傑作とされています。
オペラ「ホフマン物語」とは
主人公ホフマンをめぐる三つの恋の物語ですが、全部失恋で終わる、とても悲しいストーリーです。
ホフマンの最初の失恋はオランピアという娘。
実はオランピアは普通の女性ではないのですが、ホフマンは気づきません。
後になって悪魔によって真実が隠されていたものとわかり、愕然とします。
次の失恋はヴェネツィアでのこと。
ホフマンは美女ジュリエッタにそそのかされて鏡像(鏡に映る自分の姿のこと)を吸い取られて破滅します。
ジュリエッタは悪魔の手先だったのです。
そして3つめの失恋は美声の娘アントニアの話。
アントニアは悪魔にそそのかされて病気を顧みず歌い続けて死んでしまうのでした。
最後に、ホフマンの今の恋人までもがホフマンに愛想を尽かして別の男(実はこの男も悪魔)のもとに去っていきます。
ここでホフマンの親友が、恋の夢は忘れて真の詩人に生まれ変わるようにホフマンを力づけます。
親友は実は男装した芸術の神だったのです。 ホフマンは神の啓示を受けて心機一転、芸術家として再生します。
ヴェネツィアの場面の冒頭で、ジュリエッタとホフマンの親友が「ホフマンの舟歌」を歌います。
実は悪魔と神が一緒に歌っているのです。 二人は歌いながら、それぞれ別のことを考えているようです。
悪魔にとって愛とは現実の欲得の手段ですし、神にとって愛とは美と芸術の理想なのです。
同じことを歌っていても思惑が違うというのは怖いですね。世間ではよくあることですが。オッフェンバック流のブラック・ユーモアでしょうか。
主人公ホフマンとは
オペラ「ホフマン物語」の主人公は実在した詩人・エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマン(E.T.A.ホフマン)(1776-1822)になぞらえています。
ホフマンの本業は裁判官でしたが、文学、音楽、絵画と多彩な分野で活躍しました。文学界において周囲に影響を与えたほか、 ドイツ・ロマン派の詩人としても知られています。
ホフマンが個性的なのは幻想文学の奇才であったこと。「磁気催眠術師」,「自動人形」,「悪魔の霊液」といった現実と幻想とが入り混じった世界を描きました。
でもその一方で親しみやすい作品も残しています。日本でもおなじみの「くるみ割り人形とねずみの王様」もホフマンの作品です。
ホフマンは音楽へも影響を与えました。シューマンのピアノ曲「クライスレリアーナ」やチャイコフスキーのバレエの名作「くるみ割り人形」は、ホフマンの作品にヒントを得て書かれたものだそうです。
ホフマンが書いた小説は、どれも奇妙で不思議な話ばかりです。 「大晦日の夜の冒険」(1815年作)では、自分の影を悪魔に売り渡してしまう男や、悪魔によって鏡に自分の姿が映らなくなってしまった男が登場します。
「砂男」(1817年作)では人形と人間の区別がつかなくなってしまったり、一人の人間が二人に見えたりする現象に悩む男が描かれています。
「クレスペル顧問官」(1819年作)は、悪魔にそそのかされて病気を顧みず歌い続けて死んでしまう娘の話です。
オペラ「ホフマン物語」は、「大晦日の夜の冒険」、「砂男」、「クレスペル顧問官」を合体させたものと言われています。
オッフェンバックとオペラ
ジャック・オッフェンバックJacques Offenbach(1819-1890)はフランスで活躍した作曲家です。
「地獄のオルフェ」(「天国と地獄」序曲)、「パリの喜び」などが有名ですね。 オッフェンバックはオペレッタの音楽を多く作曲しました。
オペレッタはオペラを庶民化・簡素化したものです。作品には当時の社会への風刺が盛り込まれることがよくあったそうです。
「ホフマン物語」はオッフェンバックにとって生涯最初で最後の本格的なオペラでした。
オペレッタですでに名声を確立していたオッフェンバックですが、晩年になってオペラの大作に挑戦した意図は何だったのでしょうか。
オペラのテーマであるホフマンは死後50年以上も経ち、各方面に影響を与え、ロマン派の巨頭として評価のある先達です。
オッフェンバックは、作中のホフマンになぞらえ、オペラを書くことで自己の理想の芸術を確立しようとしていたのではないでしょうか。
あるいは、後世において真の芸術家となる道として、オペラに取り組んだのかも知れません。
いずれにしても、未完成のまま初演を見ることなく世を去った事情を考えると、この作品に対するオッフェンバックの魂魄が感じられてきます。
「ホフマン物語」と自我
19世紀初頭、ヨーロッパではナポレオンによる革命思想が吹き荒れ、社会や価値観が大きく変化し始めました。
社会や制度が個人と無関係なところで変化し複雑化していきます。 身分的自由と引き換えに、人々は社会における自己の在り方を模索する必要に迫られるようになりました。
作家ホフマンが一連の作品を書いたのはちょうどこの時期です。それは「不気味さ」の中に翻弄される不安定な自我を織り交ぜた作品ともいえます。
オペラの主人公ホフマンは自己愛が強い反面、常に何かにすがろうとする弱さがあります。
このため他者を愛することで自己を認識しようとするのです。しかし神の啓示の後は、芸術家として自我を確立していくようになります。
他者を鏡として自分の像を映すか、理想の像を自ら作るか。 ホフマン物語からは、何かに囚われずに真実を知る大切さや、理想を他者に求めない生き方などの主張が感じ取れます。
ホフマン物語が示すテーマは、現代にも通じるものがあります。
現代は「変化の時代」などと喧伝され、自律的な生き方がより強く求められるようになってきているからです。
ホフマン物語は最後に「人は愛によって大きくなり、涙によってより大きくなる」という歌で終わります。
ホフマン物語の結末は、生き方を模索するすべての人に寄り添うメッセージのようにも思えます。