楽曲紹介「アンダンテ・カンタービレ(Andante Cantabile)」

Tb.パートの大槻です。
カテゴリ「楽曲」では、当団で取り上げている楽曲の紹介をしていきます。
第6回目は、「アンダンテ・カンタービレ(Andante Cantabile)」をご紹介します。

 今回はピョートル・イリイチ・チャイコフスキーPeter Ilyich Tchaikovsky(1840-1893)の「アンダンテ・カンタービレ」です。
チャイコフスキーといえば、交響曲やバレエ音楽を手掛けたロシアの大作曲家。この曲も誰もが耳にしたことがあることでしょう。
語り掛けるようなメロディーはまるで民話を聴いているようで、幸せな気分になる曲ですね。

「アンダンテ・カンタービレ」ができるまで

 この曲は1871年に、チャイコフスキーが30歳の頃に作曲されました。
当時チャイコフスキーはモスクワ音楽院の教師をしていました。 やがて作曲家としても知られるようになり、自作曲による初めてのコンサートを開くことになりました。
このコンサートのために作曲されたのが、「弦楽四重奏曲第1番」(作品11)なのだそうです。
この曲は4つの楽章から成り、その第2楽章が「アンダンテ・カンタービレ」です。コンサート当初から大好評で、現在でもピアノやフルートの独奏など、さまざまな楽器により演奏される人気曲になっています。
曲名についてはご存じの通り、「アンダンテ andante」は「歩くような速さで」、「カンタービレ cantabile」は「歌うように、表情豊かに」という意味の音楽用語です。

19世紀ロシアの音楽事情

 ロシアでは18世紀ころから、皇帝が西ヨーロッパ各地から音楽家を招いたり、宮廷で舞踏会やオペラを開催したりするようになりました。
この結果ロシアの文化レベルは高まったのですが、その一方で音楽界は外国人に独占され、皇帝の意に沿わない音楽やオペラは検閲して禁止されるという状況だったそうです。

 19世紀になっても、ロシア音楽界は外国人頼みの体質のままでした。 それに加えて国民の音楽への関心はないに等しく、演奏収入は見込めません。 ロシアでは、貴族の家柄でもない限り、音楽家は職業としては成り立たない状況だったのです。

 作曲では生活できないということで、チャイコフスキーは、はじめは法務省で働いていました。 しかし、ペテルブルク音楽院という音楽学校が開校すると、入学して音楽家をめざすようになりました。 20代になってから音楽家としてスタートするというのは、当時の諸外国の作曲家と比べて非常に遅いものだったそうです。 卒業後は、モスクワ音楽院で教師として働きながら、作曲を開始します。チャイコフスキーの本業は教師だったのです。 こうしてチャイコフスキーは正式な音楽教育をうけたロシアで最初の作曲家になりました。

チャイコフスキーと民謡

 チャイコフスキーは民謡の採譜にも取り組んでいて、その成果は「50のロシア民謡曲集」(1869年)といった形でまとめられています。
そうした活動の影響でしょうか、初期のチャイコフスキーの作風は民族的な要素を採り入れた作品が多かったといわれています。
「弦楽四重奏曲第1番」もそのころの作品で、国民主義的な作品のひとつとして解釈されています。 チャイコフスキーと聞いて、すぐ思い描くのはバレエ音楽などですよね。おしゃれでメルヘンチックなメロディー・メーカーというイメージがあるのですが、本当はさまざまな顔があるんですね。

 「アンダンテ・カンタービレ」も民謡を取り入れた曲といわれていますが、具体的にどのような民謡なのかについては、いくつかの説があるようです。
その一つが、ウクライナのカミャンカで聴いた民謡を元にしているのではないか、というものです。 この説では曲の冒頭部分が民謡に基づくもので、それ以降の部分はチャイコフスキーの作曲であるとしています。

 カミャンカ(カーメンカ)はキーウ(キエフ)の南東200Kmほどのところにある町です。 地図で見ると、ウクライナのほぼ真ん中に位置しています。
ここはチャイコフスキーの妹の嫁ぎ先で、1870年代にはチャイコフスキーが毎年のようにここを訪れていたということです。 この説によればロシア民謡ではなくて、ウクライナ民謡が元になっているということになりますね。

民謡に綴られた想い

 この曲の元になったとされる民謡には、素朴な短い歌詞がついています。
歌詞の内容を大まかにとらえると、恋人に想いを伝えきれないでいる若者が、悲嘆に暮れ、思いあぐねた末に、 誰でも(もちろん意中のあの娘も)自分の恋人になる可能性はある、という考えに至り希望を持ち直す、という内容のようです。

 ここから見て取れるのは、揺れ動く若い心です。 恋人をめぐる懊悩、願いと不安、そして希望。短い中に実にさまざまな思いが錯綜しています。 特に、歌詞をよく読むと、最後の希望に至る過程においては、天からの啓示または導きともとれる部分があります。これは真に悩みぬいた後でなければ起こりえない達観です。
恋という自分のすべてを掛けた場面で味わう心の振幅。その過程で出会う不安や焦燥、その果てにたどり着く希望。人が最も美しくなる瞬間です。民謡ではありますが、深みのある内容だと思います。

 この歌詞を知ったうえで「アンダンテ・カンタービレ」を聴くと、民謡の歌詞と重ねて解釈できるようにも思えてきます。 しかし、これはあくまで一つの説ですので、本当はこの民謡を元にしていないかも知れません。 ただ一つ言えるのは、どちらもスラヴの大地から生まれたものであり、飾らない素朴なこころが溢れていることでしょう。