楽曲紹介「トランペット吹きの子守歌(A Trumpeter's Lullaby)」
Tb.パートの大槻です。
カテゴリ「楽曲」では、当団で取り上げている楽曲の紹介をしていきます。
第8回目は、「トランペット吹きの子守歌(A Trumpeter's Lullaby)」をご紹介します。
「トランペット吹きの子守歌」はルロイ・アンダーソンにより1949年に作曲されました。トランペット・ソロ曲ですが、バックに管弦楽が付いてムードいっぱいに盛り立てます。
「子守歌」とはなっていますが、これは大人のための子守歌です。摩天楼を見上げながら、日々のハードな生活を忘れて疲れた心を癒す… という感じでしょうか。

ライト・クラシックの代名詞
ルロイ(リロイ)・アンダーソンLeroy Anderson(1908-1975)はマサチューセッツの生まれです。 長じてハーバード大学で学びました。語学力が大変優れた人で、大学では10か国語くらいに取り組んだそうです。 アンダーソンはニューイングランド音楽院でも音楽を学びました。
ハーバード大学といえば1636年創学という歴史の長さもさることながら、アメリカで五指に数えられる名門中の名門大学です。 ハーバード大学には現在でも音楽専攻があるようです。
30歳を過ぎたころ、母校ハーバード大学の学生バンドの指揮者を務めていたときに、学生歌などをボストン・ポップス・オーケストラのために編曲することになりました。当時、ボストン・ポップス・オーケストラの指揮者はアーサー・フィードラーArthur Fiedler(1894-1979)という人物でしたが、 この編曲を通じてアンダーソンはフィードラーに認められ、作曲家としてデビューすることになりました。アンダーソンは「ジャズ・ピチカート」、「ジャズ・レガート」などを書き、一躍人気作曲家として知られるようになりました。
第二次世界大戦中は音楽活動を控えていましたが、戦争が終わると音楽活動を再開します。 スタジオ・オーケストラの指揮者として大活躍しました。
ボストン・ポップス・オーケストラとは
ボストンはニューヨークの北東にある大都市です。17世紀にイングランドのボストンから渡ってきた人たちがこの町を作りました。故郷の町の名前をそのまま付けたんですね。アンダーソンがこの曲を書いたころは人口もピークを迎え、80万人を数える大都会になっていました。
音楽ファンならば、ボストンと聞いてすぐに思いつくのはボストン交響楽団でしょう。1881年創設のオーケストラで、アメリカ五大オケの一つに数えられています。かの小澤征爾氏が日本人初の音楽監督として30年間活躍したオーケストラです。
さて、ボストン交響楽団の活動は夏の間はお休みとなります。ボストンでは夏(7,8月)はバカンスのシーズンだからです。 そこでボストン交響楽団はオフ・シーズンの期間だけボストン・ポップス・オーケストラと名前を変えて、ポピュラーコンサートや音楽会を行うのです。
ボストン・ポップスのコンサートは、オーケストラ音楽を一般の人にも広めるために活動するものです。扱う曲は実に多彩です。 ウィンナワルツやオペラ序曲といった本格的なクラシック曲もありますが、ジャズの香りのするガーシュインの曲やポピュラー音楽もあります。
アンダーソンの作品は、その多くがボストン・ポップスによって初演されており、作曲者自身が指揮したこともあったそうです。 ジャンルとしてはライト・クラシックに位置づけられ、親しみやすい曲が多いのが特徴です。そのため、クラシックの魅力を世間に広めるというボストン・ポップスの活動趣旨にぴったりだったのでしょう。
ちなみにアンダーソンを見出したアーサー・フィードラーですが、1930年から1979年まで、実に50年間にわたりボストン・ポップスで指揮を執りました。
そもそも「ポップス」とは
ボストン・ポップスは1885年から活動を開始しています。19世紀なのに「ポップス」とは、ずいぶん気の利いた現代的な名前ですね。 実は「ポップス」という言葉は意外に古い時期から使われていました。1850年代には、すでにポップス・コンサートというのがあったそうです。
「ポップス」とは「popular」の略です。飛び跳ねるを意味する「pop」の略ではありません。 クラシック音楽の世界では、「ポップス」は伝統的なクラシック音楽以外の音楽を指します。 いわゆる軽音楽(ポピュラー・ミュージック)はもちろんのこと、セミ・クラシック曲や映画音楽なども「ポップス」です。
トランペット吹きの「ぼやき」
「トランペット吹きの子守歌」はボストン・ポップスの指揮者であったアーサー・フィードラーからの委嘱によるものとされています。 ほかにも、ボストン・ポップスのマネージャからの編曲依頼が話の始まりだった、という説もあります。 しかし、アンダーソン自身の回顧によると、トランペット吹きの「ぼやき」が作曲のヒントだったようなのです。
当時ボストン交響楽団にはロジャー・ヴォワザンRoger Louis Voisin(1918–2008)というトランペットの団員がいました。ニューヨーク タイムズ紙が「この国で最も有名なトランペッターのひとり」と称したほどの腕利きのプレーヤーです。
あるコンサートの後、アンダーソンとフィードラーとヴォワザンの三人がホールの舞台裏で座っていました。その時ヴォワザンが、どうして自分のためのトランペットソロ曲を書かないんだ、とアンダーソンに語ったそうです。それを聞いて、アンダーソンは新しいスタイルのトランペットの子守歌を思いついた、ということです。 それはトランペットの音に基づいた静かなメロディーとオーケストラがバックグラウンドを演奏する、というものでした。
後日、ヴォワザンは「トランペット吹きの子守歌」でソロを務めました。指揮はもちろんアーサー・フィードラー、バックはボストン・ポップスです。 17歳でボストン響に入団し、40年近くボストン響で活動したヴォワザンですが、長いキャリアにおいても この曲は思い出に残るものとなったことでしょう。
アンダーソンの作品は吹奏楽としても演奏されるようになりました。「そりすべり」、「シンコペイテッド・クロック」、「タイプライター」、「クラリネット・キャンディ」など、多くの作品があり、一度は耳にしたことがあると思います。本格的な音楽ですがユーモアが織り込んであって親しみやすい曲が多いのが特徴です。 軽快で諧謔性に富んだ曲調も人気の理由で、今日でも演奏され続けています。
「トランペット吹きの子守歌」も人気曲の一つです。ボストンの都会的なセンスとアンダーソンの暖かなメロディーとが相まって、決して古びてしまうことのない、トランペットの名曲となっています。