スペインの歴史
Tb.パートの大槻です。
カテゴリ「関連情報」では、では、当団で取り上げている楽曲に関連するマメ知識をご紹介していきます。
第3回目は、スペインの歴史についてをご紹介します。
スペインの楽曲には魅惑的なメロディーや躍動的なリズムがあふれ、音楽のすばらしさがぎっしりと詰まっています。一度聴いたら、おしゃれで情熱的な魅力に惹かれることでしょう。
日本から遠く離れたスペインですが、あのエキゾチックな個性はどうやって生まれたのでしょうか。今日はスペインを知る足掛かりとして、その歴史を見ていきます。
スペインの始まり
イベリア半島は、昔からさまざまな民族が行き交った土地だったそうです。 イベリア半島の中部・南部にはイベリア人が暮らしていましたが、半島の北部・西部にはケルト人、南部にはフェニキア人やギリシャ人がやってきました。
ケルト人は紀元前のヨーロッパ各地で部族社会を作っていた人たちです。フェニキア人は船を上手に使って、地中海や大西洋岸で商いをしていた人たちだそうです。
続いてやってきたのはローマ人でした。ローマと北アフリカのカルタゴの争いに巻き込まれ、イベリア半島はローマに支配されてしまいました。ローマ人による支配は数百年続きました。
ゲルマン人の侵入
ローマ人にとって、ライン川やドナウ川は国境の役目を果たし、それよりも東や北の地域はゲルマン人という別の人たちの居住地でした。ゲルマン人はヨーロッパの北部、バルト海あたりにいた人たちで、ケルト人同様、多くの部族に別れて暮らしていました。
ゲルマン人はローマ帝国内にしばしば侵入するようになり、ついには部族全体で大移動するようになりました。その中にははるばるイベリア半島までやってきた人たちもいました。
イベリア半島の北西部(現在のスペインのガリシア州あたり)に来たのはスエビ族という人たちでした。 この地域には、先住民族であるケルト人もいましたので、ガリシアは独自の文化を持つ地域になっていきました。
西ゴート族は遅れてやってきた人たちでしたが、イベリア半島の大半を占領して王国を作りました。支配層であっても人口は少数派だったので、キリスト教に改宗して統治に努めたそうです。
イスラム教徒の侵入
西ゴート王国は国王の権威が強くなく、貴族たちの内紛もありました。ある日、国王が地方の反乱を抑えるため出かけていくと、その留守をついてイスラム人が攻め込んできて、西ゴート王国は滅んでしまいました。国王に反感を持つ貴族たちがイスラム軍を呼び込んだのが原因だそうです。こうしてイベリア半島はその大半がイスラム勢力に占領されることになりました。
西ゴートの王族はイベリア半島の北辺に逃れました。スエビ族と西ゴート族の人達は共同でアストリアス王国という国をつくりました。この国はキリスト教徒の国として、その後の失地回復のよりどころとなりました。
その後、アストリアス王国は分割相続の結果、レオン、カスティリャ、ポルトなどに分かれます。ポルトはスエビ族の国で、西ゴート族の国であるレオンやカスティリャとは違う文化をもっていました。ポルトはのちにポルトガルとなる国です。
失地回復
スペインではいくつもの国が分立する時代が、その後も長く続きました。 たとえば、イベリア半島北岸のバスク族はナバラ王国を作り、イスラム教徒の侵略をしのぎながら独自の文化を守り続けていました。 この国は次第に強国になりましたが、分割相続でアラゴンなど3つの国に分かれてしまいました。
そうした中でも、イスラム勢力から土地を奪い返す闘いは粘り強く行われていました。占領と解放が繰り返される中、次第にキリスト教勢力が優勢になっていきます。
イスラム勢力から見てイベリア半島の最奥部にあるカタルーニャ(バルセロナ)やアラゴンといった国も失地回復に参加するようになりました。また、カスティーリャはレオンやアラゴンとも統一し、スペイン王国が誕生しました。以後、失地回復はカスティーリャとアラゴンを中心に進められ、1492年にはイスラム勢力をイベリア半島からアフリカに追い返すことに成功しました。
その後、イスラム、ユダヤ教徒の強制改宗や追放が行われました。イスラム勢力のうち一部はスペインに残る道を選び、ムーア人と呼ばれています。
「太陽の沈まぬ帝国」
1492年は、スペイン女王が支援した船乗り・コロンブスがアメリカ大陸を目指した年です。これをきっかけにスペインは新大陸へ進出するようになり、広大な植民地を持つようになりました。さらにポルトガルを併合してその植民地も併せた結果、スペインは世界各地に領土を持つ強国になりました。
しかし国内の産業力が育たなかった上、イギリスに制海権を奪われたり、支配地の中からもポルトガルやオランダなどが独立していきました。こうして国力は衰退していき、スペインの栄光は瞬く間に幕となりました。
激動の近現代
スペインでは1700年に王統が途絶えると、フランスから新しい王が送り込まれ、各国がこれに反対し激しい戦争になりました。また19世紀にはナポレオンにより支配された時期もありました。海外の植民地も独立の動きが相次ぎ、19世紀後半には、ほぼすべての植民地を失いました。
その後は、政治的に不安定な時期が続きます。政治的には、革命による共和制の樹立や王政復古、クーデタや独裁などで混迷しました。 社会的には、経済の混乱や労働運動の活発化、テロやデモの発生、カタルーニャやバスク地方で分離独立の動きもありました。
1936年、フランコ将軍が右派と共にクーデタを起こしました。フランコ将軍は3年にわたる内戦の末に勝利し、独裁を始めました。 フランコ将軍の死去により独裁の時代が終わると、ようやくスペインの民主化が始まりました。民主化されてわずか50年、というのは意外な気がしますね。
多文化国家・スペイン
800年に及ぶイスラム人による支配はスペインの文化に大きな影響を残しました。アラブ人や北アフリカの人々が移住してきたことでイスラム教世界とキリスト教世界の文化が混じるようになったのです。
こうした状況は南部の地域ほど強いそうです。スペイン語の中にもアラビア語起源の言葉があったり、スペインに定着したイスラム風の文化・習俗もあるなど、イスラムの文化は現在もその影響をとどめているとのことです。
また長年にわたる小国分立や、もともとの文化の違いなども相まって、スペインの地域性は非常に複雑なものになりました。 失地回復とスペインの統一がカスティーリャ主導で行われた経緯もあり、カスティーリャ以外の地域では自分たちの固有の文化を尊重する意識が強いのだそうです。
今回はスペインの歴史をたどりながら、多様な文化が生まれた背景を調べてみました。いろいろな民族が行き交い、いくつもの国に分かれていた時代や、他の民族に支配された時代があったり。スペインの個性はこうした歴史から生まれたものなんですね。
ブルースカイ・ウィンド・アンサンブルでは時々スペインの楽曲を演奏しています。歴史や文化を知ることで、演奏が本場の味に近づくといいな、といつも思っています。