楽曲紹介「イェスタディ(Yesterday)」

Tb.パートの大槻です。
カテゴリ「楽曲」では、当団で取り上げている楽曲の紹介をしていきます。
第11回目は、「イェスタディ(Yesterday)」をご紹介します。

史上最も人気のあるロックバンドといわれたビートルズ。「イェスタディ」はメンバーであったポール・マッカートニーが1965年に書いたバラードです。

数あるビートルズ・ナンバーの中でも非常に親しまれている作品のひとつで、「世界で最も多くカバーされた曲」としてギネスに認定されているほどです。
ビートルズの解散から半世紀を経ても、この曲の人気はいまだに衰えていません。

ビートルズ伝説

 ビートルズはイギリスの港町リバプールLiverpoolで結成されたロックバンドです。
メンバーはジョン・レノンJohn Lennon,ポール・マッカートニーPaul McCartney,ジョージ・ハリスンGeorge Harrison,リンゴ・スターRingo Starrの4人です。
デビューは1962年。グループ名the Beatlesは昆虫にちなんだ造語だそうです。

 ビートルズは出身地イギリスは言うまでもなくアメリカでもヒットし、カーネギー・ホールで公演を行うなど不動の人気を手にしました。1970年に解散するまでヒットメーカーであり続け、常に時代をリードしました。

 伝説ともいうべき記録の一端を上げてみます。
たとえば12作のオリジナル・アルバムの内、11作が全英アルバムチャートで通算162週にわたり週間第1位を獲得しました。 また、シングル22作の内17作が第1位を獲得しました。グラミー賞を8回受賞していますし、他にも全世界でのレコード・CDなどの売上総数は6億枚超え、といった数字が並びます。とにかく記録づくめのバンドだったことがわかりますね。

 ビートルズの世界的な活動は高く評価され、4人のメンバーは女王エリザベス2世からMBE勲章を授与されました。 MBE勲章は大英帝国勲章のひとつで、歴史的には王立の勲爵士団へ入団が許された人という意味のものです。簡単に言うと大英帝国騎士団の団員になった訳です。 労働者階級の出身での受章は異例のことでした。

 アイドルとして出発したビートルズですが、活動末期はカウンターカルチャーや反戦運動とも結びつき、若者世代の価値観に大きな影響をもたらしました。 また、ライブ・コンサートを行わず、もっぱらスタジオに籠ってアルバム作りを行うようになるなど、ファンから距離をとるようにもなりました。

階級を超えて

 「イエスタディ」はビートルズの全盛期に書かれた曲です。歌詞にはポール・マッカートニーが14歳の時に亡くした母への想いが綴られています。

 この曲の特徴はなんといっても、弦楽四重奏をバックにしたアコースティック・バラードであることです。 ロックバンドにおいて弦楽四重奏を取り入れたことは、ビートルズとロックに対する世間の目が変化するきっかけとなりました。

 それまではロックバンドにはマイナスイメージも根強く存在していました。たとえば、騒がしくて行儀が悪い、労働者階級の粗野な音楽、などという評価です。 しかし、「イエスタディ」をきっかけにして上流・中流階級の人もロックバンドに理解を示すようになったのです。

 ビートルズの新たなファン層は「ミドルブラウMiddleblow」と呼ばれる新興中流の人たちでした。 ミドルブラウとは中流階級と労働者階級の間に位置する幅広い教養娯楽と洗練されたライフスタイルを持ち合わせている人たちで、この時代に新しく誕生した階級でした。 「イエスタディ」はビートルズの音楽性の幅を広げると共に、社会階級を超えたファン層の拡大をもたらしました。

ポール、騎士になる

 「イエスタデイ」を作詞・作曲したポール・マッカートニーは1942年にリバプールで生まれました。 14歳のとき母が死去する不幸がありましたが、翌年ジョン・レノンのバンドに加入して、1962年にはビートルズとしてデビューしました。

 ビートルズではジョン・レノンと共に数多くの作詞・作曲を行いました。「ヘイ・ジュード」「レット・イット・ビー」など、今日でもよく知られた名曲ばかりです。

 ビートルズ解散後は自前のバンドを結成して大々的にツアーを行いました。このことからもポール・マッカートニーがファンとの交流を重視していたことがわかります。 チャリティコンサートや各種ビッグイベントに出演するほか、動物愛護、環境保護活動家としても活動しました。制作曲は500曲以上とも言われています。

 グラミー賞、ガーシュウィン賞などを受賞したアーチストであり、1997年にはMBEより上のSir(ナイト爵)を受章しました。つまり正式な騎士になった訳です。 2017年には355番目の騎士としてコンパニオン・オブ・オナーCompanion of Honour勲章も受章しました。この勲章は定員数限定のため、Sirよりさらに希少で名誉なものなのだそうです。

 名実ともにビッグ・アーチストになったポール・マッカートニー。ギネスには「ポピュラー音楽史上最も成功した作曲家」として認定されています。

孤高の天才

 ビートルズの活動末期の変容にはリーダー格だったジョン・レノンの性格や主義が大きく影響しているようです。

 ジョン・レノンもポール・マッカートニーと同じくリバプールの生まれですが、幼少期は難しい家庭環境で過ごさざるを得なかったようです。 エルヴィス・プレスリーに影響されロックンロールに興味を持ち、作曲や演奏活動を始めました。

 ビートルズではボーカルのほか、作曲も数多く行ない、グループがアイドルからアーチスト集団へと昇華する原動力となりました。

 活動の後半はインドの音楽や哲学に傾倒する一方でベトナム反戦活動や人種問題などにも関心を向けるなど、メッセージ性を強めていきました。 また楽曲やバンドの活動の枠を超えた奇抜な言動で世間の注目を集めるようになりました。

 ジョン・レノンは何かにつけオリジナルの人・孤高のリーダーというべき個性の持ち主でした。 ビートルズのメンバーとしてMBE勲章を受章しているのですが、政府への反発から勲章を返上しています。ジョン・レノンの中のロックンローラー魂がそうさせたのでしょう。

解散と二つの才能

 解散の背景も含めて、ジョン・レノンとポール・マッカートニーの個性の違いは、よく取り上げられるところです。

 レノンはもともと鬱屈した内面を抱えた内向的な人だったそうですが、次第にファンとも距離を置き、自分の世界に籠るようになります。 こうした姿勢は、ビートルズとしての一体感とファンの存在を大事にしたいマッカートニーとの不一致を引き起こし、ビートルズ解散の一因になったともいわれています。

 ちなみにビートルズの曲の大半はレノン=マッカートニー名義,つまり二人の共作となっています。「イエスタディ」のようにポール・マッカートニーが単独で書いた曲もなぜか共作となっています。 ビートルズ解散の理由としては、このような楽曲の著作権問題があったという説もあります。

 それぞれの個性が光るジョン・レノンとポール・マッカートニー。二人がいたから生まれた曲がある一方、二人は常にライバル同士でもあったのでしょう。バンドは解散しても、二人の才能は不可分の存在であったのだと思いたいものです。