楽曲紹介「喜歌劇『こうもり』セレクション」

Tb.パートの大槻です。
カテゴリ「楽曲」では、当団で取り上げている楽曲の紹介をしていきます。
第13回は、「喜歌劇『こうもり』セレクション」をご紹介します。

喜歌劇『こうもりDie Fledermaus』はヨハン・シュトラウス2世が1874年に作曲した3幕もののオペレッタです。
『こうもり』は序曲などの評価が高くオペレッタの傑作とされている作品です。
この『こうもり』から抜粋して吹奏楽用にしたものが、鈴木英史編曲の『喜歌劇「こうもり」セレクション』です(2004年)。

『こうもり』誕生までの道のり

 1851年に、ドイツ人作家ロデリヒ・ベンディックスRoderich Bendix(1811-1873)が喜劇『牢獄Das Gefängnis』を書きました。 この作品はブルク劇場のレパートリーに入るほど人気のあった作品でした。

 1872年には、この喜劇に基づいて二人のフランスの劇作家およびオペラ台本作家が『夜食Le Réveillon』という喜劇を書きました。 アンリ・メイヤックHenri Meilhac(1830-1897)とリュドヴィック・アレヴィLudovic Halévy(1834-1908)はコンビを組んで仕事をすることが多く、 ビゼーの『カルメン』やジャック・オッフェンバックの作品などを共同で書いている人気作家でした。

 さらに1874年になって、『夜食』はオーストリアのカール・ハフナーとリヒャルト・ジュネによって手直しされ、『こうもり』が誕生しました。 『こうもり』はドイツ、フランス、オーストリアを渡り歩いて出来上がった国際的な作品だったんですね。

 カール・ハフナーCarl Haffner(1804-1876)はドイツのライプチヒ生まれですが、劇作家および劇作家・演劇詩人として活躍しました。 アン・デア・ウィーン劇場ではドラマトゥルクを務めました。 ドラマトゥルクとは歌劇のプロデューサーというべき仕事柄で、監督より上の立場で歌劇・演劇の一切を仕切る人、劇場における芸術面における総元締めのことです。

 またフランツ・フリードリヒ・リヒャルト・ジュネFranz Friedrich Richard Genée(1823-1895)は北ドイツにあった国・プロイセンの生まれですが、 オーストリアに移って台本作家、劇作家、作曲家として活動した人です。英語読みでリチャード・ジェニーと紹介されることもあります。 『こうもり』の他、同じくヨハン・シュトラウスの作品である『春の声』の歌詞(1882年)やスッペのオペレッタ『ファティニッツァ』の台本(1876年)などを手掛けています。

愉快な復讐劇

 『こうもり』はファルケ博士が銀行家の友人アイゼンシュタインに愉快な復讐を仕掛けるというお話です。 仮面舞踏会からの帰り道、ファルケは酔いつぶれてアイゼンシュタインに外に置き去りにされてしまいます。 ファルケは朝になって「こうもり」の格好をしたまま帰宅して笑われたので、アイゼンシュタインに復讐を計画します。

 三年後、ファルケは仮装パーティーにアイゼンシュタインを誘います。 この席でアイゼンシュタインはある貴婦人に浮気をしますが、貴婦人は実は仮装したアイゼンシュタインの妻だったので浮気は筒抜けでばれてしまいます。 アイゼンシュタインは平謝りで浮気の許しを請うことになりました。定番である浮気あり変装ありの楽しいストーリーになっています。

 オペレッタはオペラを簡素化して庶民的なコメディにしたものです。 オペラは歌や音楽で演じられますが、オペレッタは通常の台詞が多いのが特徴です。 その分オペラよりも親しみやすく、登場人物やストーリーなども市民社会を反映したものとなっています。

 『こうもり』は序曲のほか、『時計の二重唱』や『アデーレのアリア』、『チャルダッシュ』など聴きどころも多くあります。 『時計の二重唱』はチクタク・ポルカの元歌として知られる曲です。 女主人公・ロザリンデが、恋に落ちているかどうか胸の鼓動を時計で測りましょうなどと言って、言い寄ってくるアイゼンシュタインから時計を巻き上げる場面で歌われます。 また、『アデーレのアリア』は舞踏会に紛れ込んだ小間使いのアデーレが歌う歌です。

『こうもり』の季節は

 毎年、大晦日に上演される『こうもり』ですが、本来は謝肉祭のころの話なのだそうです。

 起点となる日は復活祭(イースター)です。キリストが復活したことを記念・記憶する日です。 カレンダーや宗派により異なるようですが、大体春分の日(3/22)から4/25あたりの日曜日だそうです。

 復活祭の前の40日間が受難節(四旬節)です。復活祭の日が一様でないので、四旬節の期間もまちまちですが、概ね2月から始まります。 伝統的に食事の節制と祝宴の自粛が行われ、償いの業(祈り、断食、慈善)が奨励される期間です。 肉はもちろん卵、乳製品の摂取が禁じられており、一日一度しか十分な食事を摂ることができないのが本来の四旬節だそうです。

 そこで四旬節の前に3-8日間にわたり行われるのが謝肉祭(カーニバル)です。 「謝」は謝辞の「謝」で、肉よさようならという意味です。節制の期間である四旬節の前に、肉も卵もいっぱい食べておこう、というのが謝肉祭です。 ドンちゃん騒ぎの祝宴や無礼講、仮装したパレードが行なわれるのだそうです。牛ブタ供養ではないんですね。

 というわけで『こうもり』の本来の季節は2月ころである、というお話でした。大晦日でも2月でも寒さは同じ。酔って外に見捨てられたら復讐を考える動機としては十分そうです。

シュトラウス2世とオペレッタ

 『こうもり』などを作曲し、シュトラウスがワルツからオペレッタに軸足を移したのは、アン・デア・ウィーン劇場の支配人やシュトラウスの妻イェッティの後押しがあったからだそうです。 イェッティはオペラ歌手で、社交界でも顔が効き、芸術にも理解がある人で、シュトラウス2世の創作を励ましたということです。 シュトラウスは『こうもり』の作曲に寝食を忘れて取り組み、6週間で書き上げたといわれています。

 『こうもり』はベルリン、ウィーンで見事な成功を収めました。当時オペレッタといえばフランスのオッフェンバックが人気でしたが、 シュトラウス2世はたった一作でオッフェンバックを抜いた、と絶賛されました。

 しかし、この時代のオペラハウスでは格式を重んじていたためオペレッタを上演しませんでした。 シュトラウス2世の作品といえどもこの扱いは変わらず、『こうもり』が初演されたのはウィーン国立歌劇場ではなくアン・デア・ウィーン劇場でした。

 その後、シュトラウス2世はオーストリアでは皇帝以上に知られた人物と評されるほどになりました。 1894年にはウィーンを挙げてシュトラウス2世のデビュー50周年を祝う祝賀演奏会が何日にもわたり開かれました。

 ウィーンの代名詞ともいわれるシュトラウス2世。現在では、『こうもり』は毎年大晦日にウィーン国立歌劇場で上演されるようになりました。 オペレッタとしては別格の作品であることがわかります。シュトラウス2世の情熱とウィーンの人々の熱狂がこの音楽の至宝を生み出したといえるでしょう。