楽曲紹介「消えた軍隊(The Vanished Army)」
Tb.パートの大槻です。
カテゴリ「楽曲」では、当団で取り上げている楽曲の紹介をしていきます。
第14回は、「消えた軍隊(The Vanished Army)」をご紹介します。
「消えた軍隊(The Vanished Army)」はケネス・アルフォードが1919年に作曲したマーチです。
このマーチには「They Never Die 彼らは死せず」という副題がついています。彼らとは第一次世界大戦(1914-1918)で戦死したイギリス軍兵士のことです。 ここから解るように、この曲は戦火で命を落としたイギリス軍兵士の追悼のために作られたマーチなのです。

イギリスのマーチ王・ケネス・アルフォード
ケネス・アルフォードKenneth Joseph Alford(1881-1945)はマーチ『後甲板にて』でも紹介したことがあります。
1908年から1927年にかけてアルフォードはイギリス陸軍の歩兵大隊の楽長を務めていました。 この時期は、『ボギー大佐Colonel Bogey』などのマーチを作曲しました。
折から、1914年に第一次世界大戦が勃発しました。大戦中、アルフォードと楽団はスコットランドの中心都市・エディンバラにいて、 実戦部隊を鼓舞するためにいくつかのマーチを作っています。戦争が終わる頃には、アルフォードと楽団は英国陸軍で最も優れた連隊音楽隊と見做されるまでになりました。
1927年には大尉に昇進し、陸軍から海軍に移り、イギリス王立海兵隊バンドの音楽監督になりました。このバンドは日本では通称・ロイヤル・マリーンズ・バンドとして知られています。 イギリス王立海兵隊バンド時代は『セント・ジョージの旗』や『ナイルの守り』など7曲のマーチを作曲しました。
これらの曲はいずれもメロディーの美しい珠玉のマーチとして世界に知られています。名曲を残したアルフォードはイギリスのマーチ王を呼ばれています。
第一次世界大戦とは
第一次世界大戦は、1914年から1918年にかけて起きた世界規模の戦争です。
大戦前、ヨーロッパでは産業力の発展やドイツなど新興国の成長により国同士の勢力均衡は崩れつつありました。 戦争の危険が高まるなか、各国は他国と同盟したり軍備を増強するなど対策を急いでいました。 また東欧の多民族地域では強国の利害がぶつかる一方で独立運動の動きもあり、不穏な情勢にありました。 1914年、オーストリアが東欧のセルビアに侵攻すると、それをきっかけにして各国が同盟関係に基づき連鎖的に参戦し、世界大戦が始まりました。
開戦時はドイツ、オーストリアによる同盟国の陣営と、イギリス、フランス、ロシアによる連合国の陣営に分かれていました。 続いてオスマン帝国(トルコ)は同盟国に、イタリア、日本は同盟国につくなど、当時の主要国のほとんどがこの戦争に関わりました。参戦した国は現在の地図でいうと50か国に該当するそうです。
最新の科学技術が投入されたものこの戦争の特徴でした。飛行機は偵察用から攻撃用に強化されました。戦車や毒ガスなどの新兵器も開発されたため戦死者数は膨大な数に上りました。 また、戦争が長引くにつれ、民間人も動員する必要が生じました。国を挙げての戦争になったため、民間人も攻撃の対象になったことが戦死者と被害の拡大を招きました。 この戦争では戦闘員は900万人以上、非戦闘員も700万人以上が死亡したとされています。
1918年になってもドイツ側は優勢でしたが、オーストリアの敗退やアメリカの参戦により形成は逆転し、連合国勝利で戦争は終結しました。
大戦とイギリス海外派遣軍
この戦争においてイギリスは大陸に海外派遣軍を送り込みました。 参戦のきっかけは、ドイツが中立国であるベルギーに侵攻を開始したことでした。
イギリスはベルギーにおいて、フランスやベルギーと共に戦いました。 しかし銃剣で戦うフランス軍に対しドイツ軍は機関銃で打ち払うという戦術をとったため、ドイツ軍に圧倒的な勢いがありました。 19世紀の戦い方が20世紀の技術に敗れたといっていいでしょう。連合国側はフランスに退却しました。
しかし、続くマルヌ会戦ではフランス軍とイギリス海外派遣軍が連携してドイツ軍を押し戻すことに成功しました。 戦争の短期決戦のシナリオは崩れ、両軍は塹壕を掘って身を隠し、機関銃を構えてにらみ合うように作戦を変更しました。 塹壕はスイスからドーバー海峡に及ぶ長大なものでした。両軍とも塹壕を突破できず、膠着状態は4年間も続きました。
この間イギリス軍は各地で戦いました。毒ガスが使われ甚大な被害を出したベルギーのイーペルの戦いや、塹壕突破を試みたフランスのソンム会戦などがあります。 ソンム会戦は初日だけでイギリス軍は2万人の死者を出したほどの激戦でした。 イギリスは塹壕突破のため初めて戦車を使用しましたが、戦車の故障も多く幅の広い塹壕は超えられず、塹壕突破の決定的手段にはならなかったということです。
イギリス軍はヨーロッパ以外の地域でも戦いました。ペルシャ湾では石油確保のため、コンスタンチノープルやバクダードではオスマン帝国と戦いました。 ドイツの植民地を奪うためアフリカ・ギニア湾でも戦っています。
またイギリス海軍は当時世界で最も強力な海軍でした。規模からするとアメリカ海軍とフランス海軍を合わせたよりも大きかったのですが、 これに対抗しようとしたのがドイツ海軍でした。
両国海軍の衝突のうち最大のものは北海のユトランド沖海戦でした。 わずか1日の戦闘でドイツは2500人を失いました。イギリスは6000人の戦死者を出しましたが、残った艦船によって制海権を維持し続けました。
大戦と追悼
アルフォードは第一次世界大戦中にいくつかのマーチを作曲しています。
このうち、『後甲板にて』 On the Quarter Deck(1917)と『海軍士官候補生』 The Middy(1917) はユトランド沖海戦にちなんで作曲したとされています。多くの犠牲を払った苦い勝利でしたが、さわやかな曲調のマーチになっています。 また『砲声』 The Voice of the Guns(1917)はイギリス砲兵隊のために書かれた曲で、大砲にちなんだ活力あるマーチです。
これに対して『消えた軍隊』は静かに落ち着いて演奏されるのが特徴です。また曲の最後は消え入るように弱くなっていきます。 演奏時間もそれなりに長めになります。アルフォードも、遅めのテンポで指揮をしていたということです。
マーチといっても様々なものがあります。一般的にマーチは兵士を鼓舞する勇ましいものが多いですが、この曲のように追悼の曲もあります。 『消えた軍隊』は平和を願い心を込めて演奏すべき曲なのです。
アルフォードは1944年に少佐として退役しました。当時イギリスは第二次世界大戦のさなかでした。 アルフォードは二つの大戦を経験したことになります。長く軍に身を置き、たくさんの仲間の死を見てきたことでしょう。
翌1945年、ドイツが降伏してヨーロッパでの戦闘が終結しました。それはアルフォードの死の直前でした。 アルフォードが健在なら、第二次世界大戦の終結に際し、どんな追悼のマーチを作ったでしょうか。