楽曲紹介「ビトー(Vito)」

Tb.パートの大槻です。
カテゴリ「楽曲」では、当団で取り上げている楽曲の紹介をしていきます。
第18回は、「ビトー(Vito)」をご紹介します。

 『ビトー』はアンダルシアに伝わる舞踏・ビトーをモチーフにしたパソドブレです。スペインの作曲家、サンティアゴ・ロペにより、1905年に作曲されました。 ヨーロッパの一角でありながらオリエンタルな雰囲気を持つアンダルシア。曲中に現れる旋律がアル・アンダルスの世界へと誘ってくれます。

サンティアゴ・ロペについて

 サンティアゴ・ロペ・ゴンサロSantiago Lope Gonzalo(1871-1906)はスペイン北部のエスカライで生まれました。 12歳でマドリードに移って作曲を学び、優れた成績を収めました。

 早くも15歳のときには、マドリッドのアポロ劇場のオーケストラにヴァイオリニストとして参加し、指揮と作曲の研鑽を積んでいきました。 その後いくつかの劇場やバレンシア市立音楽隊の指揮をとり、サルスエラ(スペインの民衆演劇)やパソドブレの作曲や演奏も行いました。

 こうした活動が認められ、32歳の若さでバレンシア音楽組合会議所の名誉会長に就任するなど、音楽界の一角を担う存在となりました。 バレンシア市立音楽隊を指導して、1905年にはビルバオで開催された国際吹奏楽コンクールで優勝を勝ち取りましたが、翌年、35歳の若さで胃癌のため亡くなりました。

ヨーロッパの果て・アンダルシア

 アンダルシアはイベリア半島(スペイン)の南部地域一帯を指します。この地域は8世紀初頭からイスラム勢力によって支配されたため、 ヨーロッパの文化とイスラムの文化が混じり合いました。グラナダのアルハンブラ宮殿やコルドバのメスキータ(聖マリア大聖堂)などの建築物は当時の文化の象徴です。

 その後キリスト教国による失地回復が進み、イスラム勢力はイベリア半島から駆逐されました。 アンダルシアが解放されたのは13世紀半ばであり、特に最南部のグラナダの解放は15世紀になってようやく実現しました。 イスラム勢力による支配が長かった地域ほどイスラム文化の影響も強く、独特な文化をもつ地域になりました。

聖ヴィトゥス(ビトー)信仰

 ビトーは聖ヴィトゥス(ビトー)信仰と関係があります。まずは聖ヴィトゥスについてお話しましょう。

 聖ヴィトゥスは、3世紀末にイタリア南部のルカニアに生まれました。父親からキリスト教信仰を捨てるよう拷問にかけられましたが、それに屈せず殉教しました。 湯釜の中に投げ込まれましたが無傷だったという言い伝えもあります。

 殉教者・聖ヴィトゥスは「ルカニアの聖ヴィトゥスSan Vito di Lucania」として崇められました。聖ヴィトゥス信仰は6世紀から7世紀の間にヨーロッパ各地に広まりました。 ドイツやラトビアなどでは、聖ヴィトゥスの像の前で踊って聖人を祝っていたので、聖ヴィトゥスはダンサー、俳優、喜劇役者の守護聖人とされました。

 守護聖人というのはカトリックや正教会の伝統的な信仰です。 聖書を翻訳して広めた聖人は通訳の守護聖人、拷問で歯を抜かれた聖人は歯科医の守護聖人という具合に、 その土地や仕事にゆかりのある聖人が特定の国や町、職業などを守ってくれる、というものです。

 16世紀になるとアンダルシアの旋律に基づいた歌が生まれ、ダンサーの守護聖人である聖ヴィトゥスにちなんで「ビトー」と呼ばれました。

アンダルシア民謡『エル・ビトー』

 ビトーといえばアンダルシア民謡『エル・ビトー』。この曲は8分の3拍子の速いテンポの歌ですが、最大の特徴は下降する旋律に「フリギア旋法」が使用されることです。 この音階ではソはソ#になり終止音はミです。このため「ミの旋法」とも呼ばれます。

 「フリギア旋法」はアンダルシアの雰囲気を一瞬で生みだす魔法の音階です。特にソ♯からファに移るときに異国情緒を引き出してくれます。 フラメンコでもおなじみですが、実は地中海沿岸周辺からインドまでの非常に広い範囲で用いられている旋法なのだそうです。 2拍子と3拍子の違いはありますが、パソドブレ『ビトー』にもこの旋法が使われています。

ビトー・歌と舞踏

 アンダルシアの人々に受け継がれる中で『エル・ビトー』にはさまざまな歌詞が付けられました。

 歌詞には女性版と男性版があります。

女性版の歌詞

 女性版のほうは、マラガの女が牛を見にセビリアへ行きその途中でムーア人に一目ぼれしてしまう、という設定で女性の立場で歌われます。

 マラガもセビリアもアンダルシアにある町の名前です。マラガがコルドバに置き換えられているバージョンもあります。歌い手の住む町に合わせて歌詞を差し替えて歌っていたのでしょう。

 ちなみにムーア人というのは、失地回復によりイスラム勢力がイベリア半島から追い出された後もスペインに残り続けた北アフリカ人のことです。

男性版の歌詞

 男性版のほうも恋の歌です。魅力的な娘に心が奪われそうだ、でも娘を射止めることができないよ、という内容です。恋の歌としては定番でしょう。

 問題はここから。この後に、あの女は金だ銀だ、果てはブリキだ、と女性の値打ちを品定めする歌詞が続くことがあります。 歌詞の連続性として唐突なので、多くの替え歌がある中で人気の個所として残ったのかもしれません。

 今は人権の時代なので物議を醸す内容となってしまいましたが、伝統的な民衆の価値観をまっすぐに見つめられる歌詞であると思います。 民謡を芸術・文化と呼ぶために行儀のいい歌詞に差し替えることはありがちですが、この歌はそんな取り繕いをしていません。天下御免の土臭さがあります。 等身大のスペインらしさが感じられる歌詞です。

ボレロとしてのビトー

 同じくアンダルシアの踊り・ボレロ。19世紀になるとビトーはボレロの代表的な演目になりました。通常は女性によって演じられます。

 本来ビトーは闘牛とは関係ないのですが、ボレロでは闘牛をイメージさせるステップとジャケットとつばのある帽子が特徴になっています。



 民謡、舞踏、そしてパソドブレ。時代と共にビトーの裾野は広がり、アンダルシアを代表する音楽として認識されるようになりました。

 ビトーは変化を続けながらアンダルシアで生き続けているのです。