楽曲紹介『狂詩曲「スペイン」』
Tb.パートの大槻です。
カテゴリ「楽曲」では、当団で取り上げている楽曲の紹介をしていきます。
第30回は、『狂詩曲「スペイン」』をご紹介します。
『狂詩曲「スペイン」』はフランスの作曲家・エマニュエル・シャブリエが1883年に作曲した管弦楽曲です。 正式な曲名は『管弦楽のための狂詩曲「スペイン」』(España, rapsodie pour orchestre)」といいます。
民族的なエネルギーを感じることのできる異国情緒豊かな曲で、現在でもフランス管弦楽曲の代表曲とされている名曲です。

エマニュエル・シャブリエ
アレクシ=エマニュエル・シャブリエAlexis-Emmanuel Chabrier(1841-1894)はフランスのオーヴェルニュ地方にあるアンベールという町で生まれました。アンベールはリヨンの西100キロほどにある町です。 オーヴェルニュ地方はフランス中南部にある山がちな地域で、名水・ヴォルヴィックで日本でも知られています。
シャブリエは幼い頃からピアノや作曲に興味を示し、とくにピアノの腕前は天才といわれたそうです。 しかし音楽だけで身を立てることはせず、公務員務めを続ける傍ら、独学で作曲の勉強を続けていました。
シャブリエが作曲に専念することに決めたのは、39歳のときでした。 公務員を退職し、本格的に作曲活動を開始しました。
管弦楽曲で有名なシャブリエですが、実はピアノ曲のほうを多く手がけていました。 シャブリエのピアノ作品は後に、ドビュッシーやラヴェルにも影響を与えたそうです。 シャブリエは功績が認められて、1888年にはレジオン・ドヌール勲章のシュヴァリエ章を受章しました。
スペイン旅行
公務員を退職したあとシャブリエは、イギリスやベルギーに旅行をしました。 その目的はさまざまな音楽に触れながら、活動の糧を探すことだったそうです。
続いてスペインにも旅行に出かけました。1882年のことでした。この旅行は奥方同伴で、7月から12月までの半年に及ぶものでした。訪れた町を地図で表すと青い印の通りです。バルセロナやバレンシア、サン・セバスチャンなど、北西部のガリシアを除くスペインのほぼ全域に及んでいます。

中でもアンダルシア地方は格別だったらしく、セビリア、カディス、マラガなど5か所も訪れています。 いずれも個性的な音楽で知られる土地ばかりですから、 音楽との出会いを求めていたシャブリエには、絶対に外すことのできない地域だったのでしょう。
シャブリエは、この旅行で数々の音楽や踊りに触れ、書き留め、曲想を膨らましていたと伝えられています。
翌年フランスに帰国すると、さっそくスペインの印象を用いて作曲に取り組みました。 初めはピアノ曲として書き始めましたが、構想が大きくなり、最終的にオーケストラ曲になったそうです。 こうして生まれたのが『狂詩曲「スペイン」』でした。
ラプソディとは
狂詩曲を意味するラプソディRhapsodyという言葉は古代における叙事詩の朗誦に由来するのだそうです。 音楽としては18世紀末から作られるようになった曲の形式で、異なる曲を自由に繋いで次々と場面転換をする曲のことです。
ラプソディはその内容から、民族的な内容を表現した楽曲とも捉えることができるそうです。 確かに『スペイン』はシャブリエが旅先で出会ったスペインの印象をその土地の音楽を交えて表現した曲ですね。
さて、日本ではラプソディを狂詩曲と訳します。能に対して狂言、和歌に対して狂歌があるように、 狂詩とは諧謔や滑稽を主眼として書かれた漢詩のことです。
狂詩は現代では廃れてしまっていますが、江戸時代から明治初年にかけて名人が輩出し、 狂詩を扱う本も盛んに出版されるなど、一時代が築かれていたそうです。 次々に場面が移り変わるラプソディは狂詩が集められた本と似ている、 ということでラプソディを狂詩曲と訳すようになったということです。
狂詩の作者は狂号というペンネームを使うのですが、「寝惚(寝ぼけ)先生」とか「方外道人(ほうがいどうじん)」など、酔狂なものばかりです。しかし実態としては、狂詩の作者は古今東西の教養を身に付けた知識人たちでした。 例えば半可山人こと植木玉厓(ぎょくがい)は幕臣で、昌平坂学問所に通うほどの人でした。 漢文で物事を思考し、疲れたら狂詩で一息入れる。幕末・明治の知識人はこんな調子だったのですね。
西洋音楽が日本に紹介されたのは明治初年のこと。 ラプソディを聴いて狂詩曲という訳を思いつくとは、きっと名付けた人も狂詩本に親しんでいた人なのだろうと推測されます。教養を感じる命名ですね。
スペイン・ブーム
19世紀以降ヨーロッパでは音楽の大衆化が進むとともに、音楽にも多様性や新奇性が求められるようになりました。 そうした中で個性豊かな音楽が溢れるスペインは、多くの外国人の関心を惹きつけました。
スペインへの関心が高まると、ヨーロッパの複数の国でスペインの音楽を素材にした曲が作られるようになりました。 フランスにおいてもエドゥアール・ラロÉdouard Laloの『スペイン交響曲』やジョルジュ・ビゼーGeorges Bizetの歌劇『カルメン』が相次いで出され、人気曲となりました。
シャブリエの『スペイン』はエネルギッシュな躍動感に加えて、こうしたスペイン音楽のブームの中で発表されたこともあり、初演でアンコールをするほどの大好評を獲得しました。
本格的なデビューが遅かったために、生涯に残した作品はそれほど多くないといわれるシャブリエですが、この曲の爆発的な人気により、一躍フランスを代表する作曲家となりました。
「四十にして惑わず」とは、かの孔子の言葉。39歳での決断が人生を変えた好例ですね。