「スペインのマーチ 2」
Tb.パートの大槻です。
カテゴリ「関連情報」では、では、当団で取り上げている楽曲に関連するマメ知識をご紹介していきます。
第12回は前回に引き続き、スペインのマーチについてをご紹介します。
一口にマーチといっても実にさまざまです。パソドブレとして作られたもの、演劇に由来するもの、純粋に軍部において作られたもの、さらには地域のイベントや宗教行事において演奏されるものもあります。
日本では耳にする機会の少ない曲も多いですが、調べてみるとバラエティーに富んだ奥の深い世界であることがわかってきます。
『エル・アバニコEl Abanico』
この曲はアルフレド・ハバロネス(ハバロイエス)・ロペスAlfredo Javaloyes Lopez(1865-1944)が1910年に作曲しました。1898年,1905年とする説もあります。
ミリタリー・パソドブレの代表格としてヨーロッパ各国で人気が高く、フランス、ベルギーなど多くの国で演奏されています。グレナディア・ガーズとして知られるロンドン王立擲弾兵連隊でも自分たちの賛歌としてこの曲を採用しているそうです。ゆっくり演奏するとロイヤルな雰囲気があるので、ぴったりですね。よい曲に国境はないという例だと思います。
曲名のアバニコとは、フラメンコで使うスペイン扇子(ファン)のことです。 パソドブレは110拍程度の曲が多いのですが、作曲者のメモによると指定テンポは136~140拍だそうです。フラメンコの激しい踊りをイメージして作曲したのかも知れません。
一方、英語版の譜面では曲名『The Fun』の下に「Quick March」と書かれています。 作曲者の意図と違うようですが、マーチとして採用する上でテンポを見直す必要があったためでしょうか。
実際の演奏ではさらにテンポを抑えたものも多いようです。これはこれで、式典の入場のように大変に優雅で格調高い演奏になっています。テンポごとに異なる魅力を発揮するとはフラメンコのファンが翻るような不思議な曲ですね。
『擲弾兵の太鼓El Tambor de Granaderos』
ルペルト・チャピRuperto Chapi Lorente(1851-1909)が1894年に作曲したサルスエラから生まれたマーチです。 サルスエラとはスペイン独自の伝統的な楽劇のことです。
『擲弾兵の太鼓』は19世紀初頭のナポレオン支配下のスペインを舞台にした話です。 欲深い年寄りドン・ペドロはフランスにへつらって要職につき、政敵デ・ラ・アズエラ伯を追放します。 その子ガスパールをフランス軍の擲弾兵楽団の打楽器奏者に追いやり、遺産を横取したり、ガスパールの結婚を邪魔するなど、やりたい放題をするのですが、ナポレオンが敗走するとデ・ラ・アズエラ伯が復権し、ドン・ペドロは逮捕される、というものです。
当時のスペインは課題山積した国情もあり、このサルスエラは当時大人気になりました。 劇中のパソドブレはスペイン軍に採用され、軍事用マーチになりました。 現在でも前奏曲はよく演奏されています。
『ドロレスLa Dolores』
スペイン南部の町マラガは舞踊マラゲーニャ発祥の地、アンダルシア地方の港町です。この町には「悲しみの聖母(嘆きの聖母)la Virgen de los Dolores」と「孤独の聖母a Virgen de la Soledad」という二つの像があり、信仰を集めています。
「悲しみの聖母」像は、18世紀にペドロ・アセンシオ・デ・ラ・セルダAntonio Asensio de la Cerdaが制作したと伝わる、160cmほどの木製の像です。「ラ・ローラ」としても知られる聖母像で、マラガのペルチェル地区で崇拝されているものです。
また「孤独の聖母」像は「悲しみの聖母」から分かれたもので、聖母の7つの悲しみのうちの一つ、我が子キリストを失った孤独を表わしています。この聖母信仰は16世紀ころにスペインに広まったとされています。
この曲は二つの像に捧げるマーチとしてホセ・アギラール・リマJose Aguilar Limaが作曲しました。 曲名のdolorとは心の痛み、すなわち聖母マリアが生涯に受けた7つの悲しみを指します。
ゆったりと演奏されるファンファーレに続く荘重な調べ。さまざまな思いを想起させるメロディアスな曲です。軍隊のいわゆる実用的な行進用のマーチではなく、聖母像をかついで人々が静かに進む行列のための曲なのです。
色々なマーチがありましたね。どの曲にも共通して言えるのは、スペイン国内で広く知られ、支持されている曲であることです。
スペインではマーチは身近な音楽なのです。そもそもバンド音楽が生活に根差しているという下地があってこその話なのかも知れません。