楽曲紹介『シンコペーテッド・クロック』
Tb.パートの大槻です。
カテゴリ「楽曲」では、当団で取り上げている楽曲の紹介をしていきます。
第32回は、『シンコペーテッド・クロック』をご紹介します。
この曲はルロイ(リロイ)・アンダーソンが1945年に作曲しました。 クラシック音楽を身近に楽しめる曲、いわゆるライト・クラシックとして大変有名です。
おかしな動作をする時計を題材にしたもので、日本では子供向けのピアノ曲『愉快な時計』として知られています。 小学校でも音楽の時間に登場しますね。
今回は誰もが一度は聴いたことのある楽しい名曲の話です。
ルロイ・アンダーソン
ルロイ(リロイ)・アンダーソンLeroy Anderson(1908-1975)はこのブログにはすでに何度か登場していますが、改めて略歴をご紹介します。
アンダーソンはアメリカのマサチューセッツで生まれました。ハーバード大学(修士)とニューイングランド音楽院で音楽を学びました。
30歳を過ぎて、母校ハーバード大学の学生バンドの指揮者を務めていたときに、学生歌などを、ボストン・ポップス・オーケストラのために編曲することになりました。ボストン・ポップスの指揮者であったアーサー・フィードラーに認められて、『ジャズ・ピチカート』、『ジャズ・レガート』などを書き一躍人気作曲家になりました。
第二次世界大戦中は一時、音楽活動はやめて、語学を活かしてペンタゴンで勤務していました。
1950年代にはスタジオ・オーケストラの指揮者として大活躍しました。『ブルー・タンゴ』(1951)では、ゴールデン ディスクを獲得しました。『ブルー・タンゴ』は器楽曲としては初めてのミリオンセラーになったほどの人気でした。
数時間で書いた曲
第二次世界大戦が終わるとアンダーソンは除隊し、音楽活動を再開しました。 復帰後最初のヒットとなったのが『シンコペイテッド・クロック』でした。
アンダーソンはボストン・ポップス・オーケストラの指揮者であったアーサー・フィードラーから、同オーケストラのゲスト指揮を頼まれていたので新しい作品を紹介したいと考えていました。アイディアは先に固まっていて、わずか数時間で書いたのがこの曲です。
アンダーソンは1950年にこの曲のレコードも出しました。14週間にわたってヒットし、アメリカ中で有名になりました。最高で12位を記録しました。
『シンコペーテッド・クロック』は、1951年にはTV番組のテーマ音楽として使われました。 「ザ・レイト・ショー」という古い映画を放送する番組だったそうです。
楽しい演出
『シンコペーテッド・クロック』では、時計の音を表わすためにウッドブロックが使われます。 フレデリック・フェネルの演奏では中間部でもウッドブロックが鳴っていますが、中間部では鳴らさない演奏のほうが多いようです。
ほかにも楽しい工夫がいろいろと登場します。時計のベルの音としてトライアングル、ほかにカウベル、ウィンドホイッスルなど。演奏によっては、冒頭に時計のねじを巻く音が入ったり、途中にあくびの音(声?)が入るなどさまざまな演出があるようです。
『シンコペーテッド・クロック』を歌おう
この曲には、1950年にミッチェル・パリッシュMitchell Parish(1900-1993)が歌詞を付けました。
ミッチェル・パリッシュはニューヨークで活動した作詞家です。『スターダスト』、『アラバマに星落ちて』、『ムーンライト・セレナーデ』、アンダーソンの曲である『ブルー・タンゴ』など多くの曲の作詞をした人です。
『シンコペーテッド・クロック』の歌詞はユーモアのある内容になっています。少し長い歌詞ですが、ある老人が自分の時計が妙な動きをするのを見つけて大絶賛する、というものです。
時計のおかげでこの老人は有名人。誰もこの奇妙な動作の原因がわからない、と続き、最後は、アインシュタイン博士も呼ばれたけれど博士さえもわからない、と話が大きくなります。小さな時計と大きな不思議と対比が愉快ですね。
歌詞全体を眺めると、時計の謎は解けることはなく、物好きな人も尽きる事はないので、この老人はいつまでも世間の関心の的でいられる、と歌っているようです。
この老人は"あなたや私と同様に王様のように幸せで単調な"日常を過ごしています。しかし、時計の不思議な動きのおかげで、この老人に社会とのつながりが生まれたのです。この時計は、人々の平凡な毎日を劇的に変えてしまう天祐という訳です。
別の見方をするならば、あの大戦からわずか数年しか経っていないのに、人々はもう戦後の平穏で単調な日々に飽きているのだ、とも読み取れます。ちょっと贅沢な悩みだとも思いますが、これが人間というものなのでしょう。"人間は気まぐれ"だから平穏な日々が続くと変化を求めたくなる、というのは洋の東西を問わないようです。