「スペインのマーチ 3」

Tb.パートの大槻です。
カテゴリ「関連情報」では、では、当団で取り上げている楽曲に関連するマメ知識をご紹介していきます。
第13回は3回目となります、スペインのマーチについてをご紹介します。

 今回は、スペインの音楽劇・サルスエラにおいて劇中曲として作られたマーチと、当時の人気曲から転じてマーチになったものの2曲を取り上げます。

 どちらも歌詞があるマーチです。作曲から100年以上経った現在でもよく愛唱され、人気を保ち続けている定番曲です。

『Voluntarios』(義勇軍)

 1893年に初演された、ジェロニモ・ヒメネスGeronimo Gimenez y Bellido(1854-1923)のサルスエラ『Voluntarios義勇軍』の劇中曲が独立したものです。ジェロニモ・ヒメネスは、『ルイス・アロンソの結婚式』(1897年)や『テンプラニカ』(1900年)で知られるサルスエラの作曲家です。

 歌詞はフィアクロ・イライゾスFiacro Yrayzoz Espinal(1860-1929)が作りました。 イライゾスは劇作家・詩人でしたが、複数の作曲家と組んでサルスエラも40作品ほど手がけています。 このうちジェロニモ・ヒメネスとは、1887年から1900年にかけて計6作を世に送り出しました。

 このサルスエラは、1860年のアフリカ戦争のとき、カタルーニャの志願兵部隊がモロッコに行き、テトゥアンという町の要塞を陥落させたという史実に基づくものです。カタルーニャの志願兵が兵員を送り出す船が出る港まで行く途中、アラゴンの町で歌われるのがこの曲です。

 「ラッパの音が聞こえ、間もなく戦う勇敢なカタルーニャ人が到着するだろう」

 「アフリカ戦争」とはスペイン側の呼び方で、一般には「スペイン・モロッコ戦争」と言います。1859年から1860年にかけて当時スペインの植民地だった北アフリカのモロッコで起きた戦争です。

 カタルーニャの退役軍人向けのパンフレットによると、カタルーニャの志願兵部隊は彼らの出身地であるカタルーニャ風のいでたちで戦地に向かい、勇猛で知られるスグラネス司令官によって率いられていました。部隊は北アフリカのテトゥアンで戦いましたが、この戦闘は天王山ともいうべき激戦でした。指揮官以下60名を失いつつも、カタルーニャ人部隊は辛勝し、テトゥアンの要塞にスペイン国旗を掲げたのでした。

 1万人の死者を出した「テトゥアンの会戦」をテーマにしたサルスエラ『Voluntarios』は 当時の大衆に熱狂的に迎えられました。 このころのスペインは16世紀以降獲得していた植民地のほとんどを失っていましたので、 わずかに残った植民地であるモロッコを死守することはスペイン国内で関心が高いテーマだったのです。

 それと同時にカタルーニャの志願兵部隊の活躍も、一躍、スペイン国内で知られるようになりました。 カタルーニャ人にはカスティーリャ人が大部分を占めるスペインへの反発と独立意識があったのですが、それにもかかわらず、カタルーニャの部隊がスペインの一員として闘いに参加し勝利に貢献したことは、記憶すべきこととして迎えられました。

 これらの背景を受けて、この曲はミリタリー・パソドブレとしてスペイン軍でも繰り返し演奏されるようになりました。 スペイン軍のマーチの中で最も有名な曲とされています。

 「…アフリカの大地でスペイン兵が歌っていた…私が死ぬ日、故郷から遠く離れていてもスペインの国旗に覆われていたい」

『El Novio De La Muerte』

 『死のボーイフレンド』または『死の花婿』とも訳されるこの曲は、1921 年にフアン・コスタ・カザルスJuan Costa Casals(1882-1942)によって作曲されました。フアン・コスタは歌曲を多く手掛けた人です。

 歌詞はフィデル・プラド・デュケFidel Prado Duque(1891-1970)によるものです。フィデル・プラドは、はじめリベラル派のジャーナリストでしたが、スペイン内戦により廃刊に追い込まれた後はF. P. Dukeまたは W. Martynの名で小説家に転じました。

 この曲の歌詞は1921年にリーフ戦争のさなかに起きた実際の出来事に基づいているそうです。

 戦闘に従軍していたバルタサール・ケイハ・デ・ラ・ベガ伍長は、婚約者の死により傷心を抱いていました。 軍の仲間たちにも、あの世に行ったらすぐに彼女と一緒になりたい、と常々語っていたそうです。その後の戦闘で、伍長は死亡しましたが、伍長の軍服のポケットからは伍長が書いた詩が見つかりました。そこには婚約者への思いがつづられていたのでした。

 この作品はアンダルシアのマラガという町の劇場で上演されて成功を収め、その後数多くのバージョンが作られました。

 その歌詞は軍隊と軍団の精神を高揚させるものとして、スペイン軍によって改作され、音楽家でもあったアベル・モレノ大佐によって最終的にマーチとなりました。この曲は非公式の賛歌という位置づけですが、厳粛な行事でスペイン軍によって演奏されています。

 …瀕死の傷を負った少尉はつぶやいた「私は死の花婿です。忠実な伴侶と共に強い絆で結ばれるでしょう」

 …彼の胸には手紙と女神のような女性の肖像があった

 「神があなたを天に招くなら、私に一目会ってください。私は死の花婿になった。彼女の愛が私の旗となった」



 スペインのマーチを調べていると、『Soldadito espanol』とか『Las Corsarias』のように、歌詞のあるマーチがとても多いです。歌好きな国民性を反映したものなのでしょう。

 また、作曲者としては、サルスエラやオペラの作曲家によるものの他に、軍人が歌詞や作曲を手掛けているものもあります。これも他の国にはない特徴といえるでしょう。