楽曲紹介 『オン・ザ・モール(On the Mall)』
Tb.パートの大槻です。
カテゴリ「楽曲」では、当団で取り上げている楽曲の紹介をしていきます。
第38回は、『オン・ザ・モール(On the Mall)』をご紹介します。
『オン・ザ・モール』はアメリカの作曲家・エドウィン・フランコ・ゴールドマンが1923年に作ったマーチです。 日本では『木陰の散歩道』というタイトルでも知られています。
マーチといっても、軍隊の行進で使用するものではありません。この曲は仕事帰りの市民と楽団が憩いの場に集い、 音楽を楽しみながら、その日の疲れを癒し明日の元気を育もう、という曲です。プロバンドの人気に陰りが出てきたとはいえ、1920年代のニューヨークには、こうした しゃれたシティライフがあったのです。

エドウィン・フランコ・ゴールドマン
エドウィン・フランコ・ゴールドマンEdwin Franko Goldman(1878-1956)は、アメリカの作曲家、指揮者です。
ケンタッキー州で生まれ、ニューヨーク市に転居しました。 9歳からコルネットをはじめ、国立音楽院ではトランペットやコルネットを学びました。 15歳でプロのトランペット奏者となり、メトロポリタン歌劇場オケなどで演奏しました。
1911年にはニューヨーク軍楽隊を設立しました。 この楽団は1918年からはゴールドマン バンドとして有名になり野外ステージやラジオ放送などで活動しました。
1929年にはバンドディレクターのためにアメリカ バンドマスター協会を設立し、 ジョン・フィリップ・スーザに次ぐ2番目の終身名誉会長を務めました。
ゴールドマンはこの協会を通じて著名な作曲家に多くの新作を委嘱し初演しました。 それらの曲は現在も吹奏楽の標準レパートリーであり、吹奏楽の世界を充実したものにしてくれています。
150曲以上の作品を手がけましたが、『オン・ザ・モール』、『チャイムズ・オブ・リバティ(自由の鐘)Chimes of Liberty』(1922年)といったマーチが有名です。
モールとは
ニューヨーク市のセントラル・パークには広々とした散歩道(プロムナード)がありました。これが「モール」です。
開園当初からモールに隣接した場所にコンサートグラウンドがあったのですが、1923年にはモールの突き当りに新しいバンドスタンド(野外音楽堂)が作られました。 この野外音楽堂は資金提供者であるエルカン・ナウムバーグElkan Naumburg(1835-1924)の名前を取って、「ナウムバーグ・バンドシェル」と名付けられました。
ナウムバーグは、ニューヨーク市の商人、銀行家でした。音楽学者でもあり、マンハッタンの芸術の後援や慈善家としてもよく知られた人物でした。ニューヨーク オラトリオ協会やナウムブルク音楽隊の設立に資金提供を行っており、クラシックおよびライト・クラシック音楽を市民に身近なものにすることに貢献しました。
ゴールドマン バンドは楽団創設以来、長年にわたってセントラル・パークでサマー コンサートを行っていましたが、 1923年からはこの野外音楽堂で演奏するようになりました。
演奏曲目としては、ゴールドマンが編曲した作品や吹奏楽のオリジナル作品などがありました。 年代別に見ても古典的な作品から吹奏楽のための新作まで幅広く取り上げられ、 著名な奏者や歌手との共演を行ったり、欧州の作曲家による委嘱作品を演奏するなど、趣向を凝らした内容だったようです。
ゴールドマン バンドの演奏は市民に大変好評で、野外音楽堂には、散歩したり音楽を楽しむために数千人のニューヨーカーが集まるようになりました。『ボレロ』などが人気の高い曲だったそうです。

『オン・ザ・モール』とは
「ナウムバーグ・バンドシェル」の完成とナウムバーグを讃えるために作られた曲が、『オン・ザ・モール』です。
この曲は明るいメロディーであることに加えて、歌や口笛によって聴衆も演奏に参加できることが陽気なニューヨーカーに好評で、たちまち絶大な人気を獲得しました。
ゴールドマンの妻・アデレード・メイブランAdelaide Maibrunn Goldman(1885-1975)はゴールドマンの人気曲に対して歌詞を書くことがありました。『オン・ザ・モール』もその一例で、トリオの部分に歌詞が作られています。おおまかにご紹介しましょう。
前半は、穏やかな夏の夜暮れに一日の疲れを癒したいなら、ここに来てみては、という内容です。 仕事やトラブルに疲れたならモールの演奏会に立ち寄ってみてはどうですか、と誘いかけています。
後半は、ここには甘い音楽や夜風を受ける木々、静けさ、平和、愛があるから、喜びや希望、勇気を分かち合えるはず、 と歌います。ここには安らぎと愛があるから、きっと明日への希望と勇気が見つかるはず、というわけです。
誰もが気軽に立ち寄って音楽に触れ、明日の元気をもらえる場。これが「モール」なのです。 忙しかった今日を振り返りつつ、音楽に励まされて、頑張った自分をちょっぴり褒めてみたりして。これが明日の生きる力になります。音楽が全ての人々に寄り添っているというのは、すばらしいことですね。
セントラル・パークと音楽文化
1876年に完成したセントラル・パークは大都市ニューヨークのど真ん中に0.8km x 4kmの広さで作られた都市公園です。 現在では年間のべ4000万人が訪れる人気スポットであり、人口造園ながら自然が残され、メトロポリタン美術館を擁するなど、市民のレクリエーションの場として定着しています。
その広さは340haということです。日本の公有地と比較してみると、皇居の場合、外苑と北の丸を合わせても250haですし、代々木公園は54haしかありません。過密な大都市の中心にこれだけの土地を割いた英断には脱帽せざるを得ません。それでもニューヨーク市内では5番めの広さなのだそうです。
セントラル・パークは、開園以来コンサートの会場としても利用されていました。週末のコンサートにはあらゆる社会階級の何万人もの観客が集まったと言われています。ちなみにナウムブルク・バンドシェルは今も当時のまま残っていて、コンサートに使用されているようです。息長くニューヨーカーに愛されている場所なんですね。
20世紀と共に始まったセントラル・パークの音楽文化は、バンド、市民、行政の三つが揃ったことで生まれました。『オン・ザ・モール』はアメリカの繁栄と市民生活のゆとり、すなわち大衆社会の到来を象徴した一曲といえるでしょう。