「タウリン・パソドブレ(Taurine Paso Doble)」

Tb.パートの大槻です。
カテゴリ「関連情報」では、では、当団で取り上げている楽曲に関連するマメ知識をご紹介していきます。
第8回はタウリン・パソドブレ(Taurine Paso Doble)についてをご紹介します。

 パソドブレはスペインの国民音楽ですが、一口にパソドブレといってもさまざまな種類があります。

 今回取り上げるのは、その中のひとつである"タウリン・パソドブレ"です。 スペイン語ではパソドブレ・タウリーノ"Paso Doble Taurino"というようです。タウリーノは"闘牛"という意味で、その名の通り闘牛に関係したパソドブレです。

タウリン・パソドブレ(Taurine Paso Doble)とは

 タウリン・パソドブレには、闘牛場で演奏されるものと、それ以外のものとがあります。

 闘牛場で演奏されるものは、闘牛士の入場時(パセオ)や闘牛を殺す直前の場面(ファエナ)などで演奏されて、闘いを盛り上げます。 マーチ・パソドブレよりもゆっくりめのテンポで、劇的な音楽が特徴です。 闘牛でパソドブレが演奏されるようになったのは19世紀からのようですが、日本でパソドブレというと、このようなイメージではないでしょうか。

 ちなみに、闘牛に出場する牛は闘牛用に育てられた牛で、その名も「闘牛」。つまり、肉牛、乳牛などど同列で闘牛というタイプの牛がいるのです。 闘牛とは闘牛という行為を指すことばであるほかに、牛自体を指すことばでもあるんですね。闘牛用の牛は、人間嫌いになるように育てるのだそうです。

 タウリン・パソドブレには、このほかに、闘牛をテーマにしたものも含まれます。闘牛場で演奏されるものとは違って、こちらには歌詞がついています。 闘牛の場面を思い起こさせるものや、 闘牛文化や優れた闘牛士を讃えるもの、闘牛士の周囲の人々が闘牛士の無事を祈るものなど、歌詞の内容はさまざまです。

 ではタウリン・パソドブレの"有名どころ"を見ていきましょう。

『エスパーニャ・カーニ(España cañí)』

 オペラ、パソドブレの分野で活躍したパスカル・マルキーナ・ナロPascual Marquina Narro(1873-1948)の代表作です。 1923年に書かれた曲で、『ジプシー・スペイン』Gypsy Spainまたは『スパニッシュ・ジプシー・ダンス』Spanish Gypsy Danceという曲名でも知られています。

 導入部はカスタネットが鳴り、イベントの始まりといった雰囲気があります。中間部はドラムロールとトランペットで場面転換。後半は南国らしい解放感に転じます。 パソドブレ本来の行進曲的な要素とフラメンコの雰囲気を合わせ持つ、タウリン パソドブレの有名曲です。

 この曲は、100年経った現在でも社交ダンス競技のスタンダード・ナンバーで、振り付けの基準となっています。 社交ダンスのパソドブレではハイライトという、ポーズを決める見せ場が何か所かあるのですが、 ハイライトに向けて演技の流れを組み立てる必要があるので、この曲が好まれているのだそうです。

『プラザ・デ・ラス・ベンタス(Plaza de Las Ventas)』

 タウリン・パソドブレといえば、絶対にこの曲でしょう。曲中では、トランペットによる典型的な闘牛のファンファーレが奏でられます。 ラス・ベンタス闘牛場Plaza de Toros de Las Ventasはスペインの首都マドリードにあり、闘牛場としてはスペイン国内最大級のものです。 2万3千人以上の観客を収容できるアリーナで、闘牛以外のイベントも開かれるようです。

 この曲はスペイン・アリカンテ生まれの作曲家・マヌエル・リーロ・トレグロサManuel Lillo Torregrosa(1940-)によるものです。 マヌエル・リーロは交響曲や、マーチ、パソドブレを手掛けています。

『テルシオ・デ・キテス(Tercio de Quites)』

 ラファエロ・ペロRafael Talens Pello(1933-2012)の作です。ペロは作曲家で音楽教育者として活動しパソドブレも残しました。

 この曲は1951年の同名の映画で用いられました。 映画は、スペイン人とメキシコ人の二人の闘牛士の物語です。二人はライバル関係で、ある女性をめぐっても恋敵ですが、闘牛での危機をきっかけに二人は和解する、といった内容です。

 テルシオとはもともとスペイン軍の槍と銃で装備した歩兵隊の陣形のことですが、闘牛でも途中の見せ場には「テルシオ・デ・ムレタ」などの名前がつけられています。 キテスは消滅という意味ですので、ライバル同士が理解し合う間柄になった、ということですね。

『アグエロ(Agüero(Into The Sunset ))』

 1925年に、ホセ・フランコ・イ・リバテJose Franco y Ribate(1878-1951)により書かれました。 ホセ・フランコは海をモチーフにしたものなどバンドのための曲を数多く作曲しており、作曲家・バンドリーダーとして活動したほか、音楽院の創設にも関わりました。

 この曲はテンポは110と標準ながら、闘牛の試合前の緊張を思わせるような、パソドブレにしては静かめな曲です。カスタネットが入るなど、異国情緒も味わえます。

 このパソドブレは1920年代に活躍した闘牛士・マルティン・アグエロ・エレニョMartín Agüero Ereño(1902-1977)に捧げられたものです。 マルティン・アグエロはほぼすべての闘牛を一撃で仕留めるという驚異的な練磨の技で知られた伝説の闘牛士でした。

『マノレテ(Manolete)』

 闘牛士を讃えるパソドブレをもう一曲。ペドロ・オロスコ・ゴンザレスPedro Orozco Gonzalez(1911-1989)の1939年の作です。 闘牛士ペドロ・ロメロ・マルティネス(1754-1839)を讃えるものです。

「ラッパの音、黒い雄牛。それは戦いです。」
「世界中があなたの芸術を称賛します。」
「あなたは名誉であり、伝統です」

 17世紀までの闘牛は馬に乗って牛を槍でつつく「騎馬闘牛」というスタイルでしたが、18世紀になると馬に乗らない「徒歩闘牛」というスタイルになりました。 それはムレタという赤い布を持って捨て身で牛の前に立つという、それまで以上にスリリングな戦い方でした。ペドロ・ロメロは、こうした徒歩闘牛を確立させた人です。

『陽気なフランシスコ(Francisco Alegre)』

「彼が戦う時、私は彼のために祈っています」

 先の二曲とは対照的に、闘牛士である恋人の無事を祈る気持ちを女性の立場で歌ったものです。 アントニオ・キンテロAntonio Quintero、ラファエル・デ・レオンRafael de Leon、マヌエル・キロガManuel Lopez-Quirogaのトリオによる作曲です。

闘牛文化と音楽

 闘牛については本場スペインにおいても、いろいろな議論が出てきているようです。 闘牛文化は全盛とはいいがたい状況ですが、タウリン・パソドブレも同じく斜陽化していくのでしょうか。

 これまで見てきたように、タウリン・パソドブレは闘牛という文化を通してスペイン人の生死感を歌ったものです。 それは、人間なら誰しも持つ「死に対する恐怖心との闘い」をテーマにした曲でもあります。 生と死はいつも一対であり、だれもそこから逃れられないという人生の真実を噛みしめる曲ということもできます。 ここに音楽としての普遍的価値を見いだせれば、タウリン・パソドブレはこれからも人々の心に残り続けることでしょう。

 当団イの演奏会では、マーチと並んでパソドブレを欠かさず取り上げています。 ダイナミックなリズムやヒロイックな信号音、時にオリエンタルな雰囲気を醸し出すメロディ、阿吽の呼吸で揺れるテンポ。 マーチと同じ二拍子系ですが、その物語性はマーチとは全く違います。極めることの難しい奥の深い音楽です。