マーチ・パソドブレ

Tb.パートの大槻です。
カテゴリ「関連情報」では、では、当団で取り上げている楽曲に関連するマメ知識をご紹介していきます。
第7回はマーチ・パソドブレについてをご紹介します。

パソドブレはスペインの国民音楽です。歌や踊り、演劇を始めとして、行進や興行、イベントなど、スペインの日常のあらゆるシーンに根付いています。 海外でも広まっていて、日本でも社交ダンスやアイス・ショーなどでおなじみですね。もはやスペイン発祥の"音楽文化"と言ったほうが適切かも知れません。

広い裾野を持つパソドブレですが、今回はバンド音楽としてのパソドブレに限定し、さらに掘り下げて見ていきたいと思います。

マーチ・パソドブレとは

 このブログでは半年ほど前にパソドブレを取り上げました。その折りに書いた通り、一口にパソドブレと言ってもいくつか種類があります。

 マーチ・パソドブレはそのうちの一つで、「ミリター・パソドブレMilitar PasoDoble」とも呼ばれます。 軍における歩兵の行進のようにマーチ風のパソドブレです。

 マーチ・パソドブレには、歌詞があるものと歌詞がないものとがあります。 歌詞がある場合は愛国的なものが一般的で、軍のバンドの演奏に合わせ、ステージと観客が一体になって合唱したりします。

 ではマーチ・パソドブレの"有名どころ"を見ていきましょう。

『Soldadito español』

 ハシント・ゲレーロJacinto Guerrero Torres(1895-1951)の1927年の作です。曲名は"スペイン兵"、といった意味です。

 ゲレーロはサルスエラ、ミュージカル、サイネットの作曲家として活躍しました。 サルスエラ(zarzuela)とは、17世紀ころに起源を持つスペイン独自のオペレッタのことです。 同様にサイネット(sainete)も18世紀から20世紀にかけて人気のあったスペイン独自の庶民劇です。

 この曲は、当時のスペインの時代背景と国民感情を反映したものです。19世紀末から20世紀初頭にかけて、スペインはわずかに残った植民地を守るため キューバ、フィリピン、北アフリカで戦いました。しかし、キューバ、フィリピンはアメリカの手に渡り、北アフリカでも現地人の反乱により苦戦を強いられました。 かつての世界帝国の凋落ぶりは誰の目にも明らかでした。この曲はこうした戦役に参加したスペイン兵へのオマージュとして作られたのです。

 翌年、ゲレーロが2幕もののミュージカル『ラ・オルギア・ドラド』La orgía doradaを発表すると、愛国的な歌詞とともに、この曲は大変有名になりました。 歌詞は、ペドロ ムニョス セカPedro Muñoz Secaらによるもので、不運な死を遂げた兵士をテーマとした内容です。 歌詞には「スペインの兵士、勇敢な兵士よ、太陽の誇りはあなたの額にキスをする」という一節があり、曲名はこれに由来しています。

 この曲は、1960年のミュージカル映画『ペルーサ』Pelusaにおいて再び人気を得ました。 『ペルーサ』はサーカスで働く娘・ペルーサがパリでバラエティー・アーティストとして成功したあと古巣に戻り、経営難にあったサーカスの立て直しを図る、というものです。

 この映画では1950年代から1960年代に活躍した映画スター、マルヒタ・ディアスMarujita Diaz(1932-2015)の歌が盛り込まれ、『Soldadito español』はそのテーマ曲としてヒットしました。 マルヒタ・ディアスは、短いコスチュームに健康なお色気も振りまいて颯爽と歌い上げました。映画の効果もあって、この曲はマーチ・パソドブレとしては最も知られた曲となっています。

 愛国的な歌詞と通常のマーチより速いテンポが特徴です。この曲は行進用ではなく、軍民一体となって共に歌い愛国心を高揚させる曲なのです。

『エル・アバニコ(El Abanico)』

 アルフレド・ハバロネス(ハバロイエス)・ロペスAlfredo Javaloyes Lopez(1865-1944)が1910年に作曲しました。1898年,1905年とする説もあります。 この曲はミリター・パソドブレの代表格ですが、実際の軍用のマーチとしても使われます。このようにスペインではマーチとパソドブレには一部重なった部分があります。

 現在の譜面ではタイトルの下に"Quick March"と書かれています。この指定によればテンポは通常のマーチと同じく120拍が妥当ということになります。

 しかし作曲者のメモによると、本来のテンポは136~140拍なのだそうです。曲名の"アバニコ"とは、フラメンコで使うスペイン扇子(ファン)のことです。 作曲者は軍の行進用としてではなく、フラメンコの激しい踊りをイメージして作曲したのかも知れません。

 ちなみに、いくつかの団体の演奏を聴いてみると、テンポは"Quick March"よりもはるかに遅く、88拍とか100拍程度が多いようです。中には77拍程度の演奏もあります。 式典の入場曲のようで、総じて大変に優雅で格調高い演奏ばかりです。

 この曲はヨーロッパ各国でも人気が高く、フランス、ベルギーなど多くの国で演奏されるいるそうです。 中でもロンドン王立擲弾兵連隊the Regiment of the Royal London Grenadier Guardsは自分たちの賛歌としてこの曲を採用しています。 ゆっくり演奏すると、旋律やテンポにロイヤルな雰囲気があるので、ロンドンでも人気が高かったのでしょう。 近衛兵のパレードはこの曲から始まることになっているということです。よい曲には国境はない、という例ですね。

『ラス・コルサリアス(Las Corsarias)』

 20世紀初頭のスペインでは社会問題が鬱積し、第一次世界大戦のころからは、それまでの社会習慣や価値観に反対する風潮が出始めました。 それはファッションやものごとの考え方などにも及び、伝統的なものへの軽蔑や意見の相違を生み出しました。

 その当時、娯楽として盛んにおこなわれていた演劇においても、大衆のこうした変化に敏感に反応した作品が生まれました。 1919年に作られたエンリケ・パラダスとホアキン・ヒメネスの台本による喜劇『ラス・コルサリアス』もその一つです。 『ラス・コルサリアス』は、男性と女性の役割が交代した社会、という設定で、「礼儀」や「服従」といったそれまでの伝統的な女性観を覆す作品でした。

 この作品はスペイン国内で驚異的なヒットを記録し、音楽を担当したフランシスコ・アロンソFrancisco Alonso(1887-1948)にとっても出世作となりました。

 「スペインの国旗よ、私があなたにいかに忠誠を尽くすか、見届けてください」

 作中で歌われたパソドブレは戦いに赴く女性たちが歌うもので、スペインの国旗を指す『バンデリタ』Banderitaとして大変有名になりました。

 テンポは126拍くらいとマーチとしては速いほうです。この曲も行進用ではなく、コンサート会場で愛国的な歌詞で熱唱されるものです。 聴衆も総立ちで一体化。愛されている曲なんですね。

マーチ・パソドブレとスペイン

 以上、マーチ・パソドブレをいくつか見てきました。「マーチ」といっても、初めからいわゆる行進用に作られた曲ばかりではありません。 サルスエラなどの演劇に由来する曲もあれば、芸能人が歌って人気を得た曲もあるなどさまざまです。 愛国的な歌詞がついているものも多いですが、荘重な雰囲気の曲もあります。

 今日見た曲はすべて百年以上にわたりスペインで国民の人気を得てきた曲です。スペインにおいてマーチ・パソドブレは軍人と聴衆(文民)が一体となる曲、といえるでしょう。 こういう曲は今の日本には無いものですね。