楽曲紹介「Blue Tango(ブルー・タンゴ)」

Tb.パートの大槻です。
カテゴリ「楽曲」では、当団で取り上げている楽曲の紹介をしていきます。
第24回は、『lue Tango(ブルー・タンゴ)』をご紹介します。

 タンゴはご存じの通り南米・アルゼンチン発祥の音楽です。その後ヨーロッパに伝わると、新しいダンス音楽として受け入れられて、タンゴ・ブームが起こりました。 これをきっかけにしてタンゴは独自の発展をしていき、ヨーロッパ各国をはじめアメリカにおいてもタンゴが広まっていきました。

 アメリカの作曲家・ルロイ・アンダーソンが『ブルー・タンゴ』を作曲したのは、1951年のことでした。発売されるや、その華麗な演奏が注目を集め、一躍人気曲となりました。

さまざまなタンゴ

 もともとタンゴは、1880年代に南米アルゼンチンのラプラタ川沿いで盛んになったダンスといわれています。 貿易で栄えたブエノスアイレスには、仕事を求めてさまざまな国から移民がやってきました。移民の多くは生活が厳しく、港近くの貧しい地区に集まって暮らしていました。 こうした人々が住む地区の酒場で踊られていたのがタンゴの始まりなのだそうです。

 1910年ころになると、タンゴがヨーロッパでも知られるようになり、パリで流行しました。 同時にタンゴのダンス・スタイルも見直されるようになり、独自のタンゴに発展していきました。

 このタンゴはヨーロピアン・タンゴと呼ばれ、社交ダンスとして文化的に洗練されたものになりました。 アルゼンチン・タンゴは踊り手によるアピールが強い、情熱的な動きのダンスですが、ヨーロピアン・タンゴは激しい足の動きはなく踊りやすいダンスになっています。

 演奏のスタイルも変わりました。

 本場アルゼンチンのタンゴはバンドネオンというオコーディオンに似た形の楽器が使われているのが特徴で、リズムが鋭い演奏です。楽団もこじんまりとした編成です。

 これに対してヨーロピアン・タンゴは広いダンスホールで演奏するのが前提ですので、アコーディオンや管弦楽で演奏されるようになりました。 アルゼンチン・タンゴに比べ、より音量があり、華やかなスタイルといえます。

 『ブルー・タンゴ』はヨーロピアン・タンゴの影響を受け、フル・オーケストラによって華麗に演奏される曲です。 華やかでおしゃれな雰囲気がありながら、異国情緒もあり、誰もが踊る楽しみに溶け込める音楽になっています。 快活なアメリカ社会を反映したものなのか、速めのテンポで進んでいきます。アメリカの大衆社会に受け入れられるツボを備えた曲といえるでしょう。

ルロイ・アンダーソン

 ルロイ(リロイ)・アンダーソンLeroy Anderson(1908-1975)はマサチューセッツの生まれです。ハーバード大学(修士)とニューイングランド音楽院で音楽を学びました。

 30歳を過ぎたころ、母校ハーバード大学の学生バンドの指揮者を務めていたときに、学生歌などをボストン・ポップス・オーケストラのために編曲することになりました。 これがきっかけでアンダーソンは編曲能力を認められ、作曲家としてデビューすることになりました。アンダーソンは『ジャズ・ピチカート』、『ジャズ・レガート』などを書き、一躍人気作曲家として知られるようになりました。

 第二次世界大戦中は語学を活かしてペンタゴンで勤務しましたが、戦後は音楽活動を再開します。 壊れかけた不思議な時計をモチーフにした『シンコペイテッド・クロック』を初めとして、『トランペット吹きの子守歌』や『そりすべり』など、親しみやすく独自性の高い曲を書き、次々にヒットさせていきました。

 アンダーソンの音楽は民族音階や大衆音楽、特にタンゴやサンバ、ラグタイム、ジャズなどを幅広く取り入れ、クラシック音楽と融合させた点に特徴があると言われています。 他にも『タイプライター』や『紙やすりのバレエ』といったユニークな曲も作りました。

 「セミ・クラシック」あるいは「ライト・クラシック」などと呼ばれるアンダーソンの作品は、今日でもポップス・オーケストラの定番として人気を保ち続けています。

「ブルー」とは

 『ブルー・タンゴ』の「ブルー」はジャズでもお馴染みのブルー・ノート・スケールに由来します。その名の通り、この曲のリズムパターンにはブルー・ノートと呼ばれる音階が用いられているためです。

 ブルーは「憂うつ」の意味。ブルースのブルーです。力の抜けた、ちょっと悲しい感じもします。ジャズとタンゴの融合とはアンダーソンらしい着想ですね。

 一方、メロディは南国らしさを感じさせる伸び伸びとした雰囲気になっています。この組み合わせがいいですね。 解放感のある風が吹き抜けて、まぶしい光も溢れているけど、ちょっとユウウツ、という心の影を感じさせる大人の曲ですね。 ちょうど夏休みの残りの日数がそろそろ気になりだした時のような…(ちょっと違うかも知れません)。

ミッチェル・パリッシュの「青い世界」

 作曲の翌年にはミッチェル・パリッシュにより歌詞付きのバージョンも作られました。 ミッチェル・パリッシュMitchell Parish(1900-1993)は生まれてすぐリトアニアからアメリカに移住し、その後、作詞家として活躍した人です。 『スターダスト』や『ムーンライト・セレナーデ』で知られていますが、数々のブロードウェイ作品の他、アンダーソンの『シンコペイテッド・クロック』にも歌詞を付けました。

 ミッチェル・パリッシュの歌詞では、恋する女性の気持ちが女性の立場で歌われています。 例えば、この曲は出会ったころに二人で踊った曲、この曲を忘れることができないように、あなたのことも忘れるなんてできない、という意味の歌詞があります。

「Here am I with you in a world of blue」

 タンゴに揺れ、青い世界にいる二人。青は南国の海でしょうか。過ぎつつある青春でしょうか。ミッチェル・パリッシュの「ブルー」は想い出と愛に溢れた美しい青い世界なのです。

アメリカン・タンゴの草分け

 アンダーソンの音楽はその作品の多くがボストン・ポップス・オーケストラによって紹介されました。 『ブルー・タンゴ』もボストン・ポップスの演奏で人気となり、ポピュラー音楽のヒットランキングチャートで5週間にわたって1位を記録しました。

 器楽曲としてミリオンセラーになったのはこの曲が初めてのことであり、アンダーソンにとっても生涯で最も売れた曲となりました。 『ブルー・タンゴ』によって、アメリカでタンゴは売れないという常識は覆され、アメリカン・タンゴの歴史が始まったのでした。