楽曲紹介「Moon River(ムーン・リバー)」

Tb.パートの大槻です。
カテゴリ「楽曲」では、当団で取り上げている楽曲の紹介をしていきます。
第23回は、『Moon River(ムーン・リバー)』をご紹介します。

 ムーン・リバーは1961年の映画『Breakfast at Tiffany's』(ティファニーで朝食を)で、主演のオードリー・ヘプバーンがギターを弾きながら歌った曲です。 映画とともにこの曲も大人気となり、アカデミー歌曲賞やグラミー賞を受賞しました。 現在までにフランク・シナトラなど多くのアーチストによって数百を超えるカバー曲が出されています。

オードリー・ヘプバーン

 オードリー・ヘプバーンAudrey Hepburn(1929-1993)はベルギーのブリュッセル生まれです。幼少期をイングランド、オランダで暮らし、バレエを習うなどして過ごしました。 第二次世界大戦の時はオランダにドイツ軍が侵攻したため、つらい日々を過ごしたようです。

 しかし大戦後、オードリーは有数のバレリーナとなり、さらにイギリス、アメリカに渡り、舞台劇や映画に出演するようになりました。 オードリーはその後10年間にわたって話題作、人気作に出演するスター女優であり続けました。

 アカデミー賞、ゴールデングローブ賞、英国アカデミー賞を受賞。舞台作品ではトニー賞を受賞。 死後にグラミー賞とエミー賞も受賞するなど各賞を総なめ。まさにハリウッドを代表する活躍ぶりでした。

 ベスト・ドレッサーとしてファッションにも注目が集まりました。映画『ティファニーで朝食を』でヘプバーンが着たジバンシィのドレスは、史上最も有名なドレスだと言われているそうです。

『Breakfast at Tiffany's』ティファニーで朝食を

 アメリカの小説家トルーマン・カポーティTruman Garcia Capote(1924-1984)の同名の小説を原作とする映画です。小説の発表は1958年ですが3年後には早くも映画化されました。 映画版は、ニューヨークを舞台に自由奔放に生きる女性ホリーと作家志望の青年ポールの間に生まれる都会の雰囲気漂うお洒落なラブストーリーです。

 若くして不幸な結婚をした田舎娘ルラ・メー。自由がなく貧しい暮らしから抜け出すために家族を捨て、ホリーと名を変えてニューヨークで暮らし始めます。 ホリーの夢は玉の輿で金持ち男性と結婚すること。嘘で固めた生活を続け富裕で自由な暮らしを追い続けるホリーでしたが、ポールは次第にホリーに惹かれていきます。

 このストーリーの起点は、結婚によって背負い込む縛りと貧困です。 そしてホリーは、その対極にある自由と富裕を手に入れるため、虚偽に満ちた私生活と方便としての愛を使って生きていくのでした。 家族を捨て過去を偽り、別人になりきって演じているうちに、本来の自分が消し去られて嘘の自分が本物に見えてくる、といったところです。 「彼女は本物のニセ物だ。」というセリフは、ムーン・リバーに重ねて夢を追い続けるホリーの姿を言い当てています。

ムーン・リバーとは

 『ムーン・リバー』の歌詞はジョニー・マーサーによるものです。 ジョニー・マーサーJohnny Mercer(1909-1976)は1940年代から多くのヒットを出し、その後も映画やミュージカルも含め1500曲以上の曲を書きました。 『グレン・ミラー物語』で知られる作曲家ヘンリー・マンシーニ Henry Mancini(1924-1994)と組んで世に出した『ムーン・リバー』はジョニー・マーサーの代表作です。

 曲のタイトルでもあるMoon Riverはジョニー・マーサーの出身地ジョージア州サバンナにある実在の川The Back Riverから取ったのだそうです。 地図で見ると海岸近くの川筋が複雑に入り組んだ土地ですが、The Back Riverはこの土地では比較的大きな川の支流のそのまた一区間にすぎず、地図を拡大しないと探せないほどの小さな川です。

 なぜこんな小さな川を選んだのでしょうか。歌の中ではムーンリバーを「とても広い川」だと歌っています。 小さな川であればあるほど、小さな川を大きな流れと感じているホリーの田舎娘ぶりを表現するのにはぴったりだと考えたのでしょうか。 あるいは所在のわからない川のほうが人々の想像を掻き立てるので、あえて無名の小さな川を選んだのかも知れません。

 ちなみにこの川は映画にちなんでMoon River と名前が変わっているそうです。

ムーンリバー的生き方とは

 この歌はホリーの夢と生き方を歌っているのですが、難解な部分がいくつもあります。

 想像を交えて言うと、立ち止まったり、遠回りな道を行ったりする(遠回りなことをしたりする)ということがあっても、 虹の果てまでも自分の夢(富裕と自由を手にすること)を追い求め、ムーンリバーのような広く果てしない流れを見事泳ぎ切ってみせる、といった意味かと思います。

 歌詞には、ムーンリバーと一緒に行く、同じ夢を求めて漂う、という意味も盛り込まれています。 流れに抗うばかりではなく、時には流れに身を任せるというスタンスもあるようです。 それでもいつか大海に流れ着き、未知の世界を見ることができるはず、という希望が感じ取れます。

 ホリーの夢は富裕と自由を手に入れることです。結婚しても富裕なだけではだめで、自由でなければならないのです。 これについては、歌詞ではマーク・トウェインのハックルベリー・フィンになぞらえて歌っています。 つまりムーンリバーのような生き方とは、社会に縛られない生き方を手に入れるため、 大海(未知の世界)をめざして夢を追い続ける生き方のことです。

 映画のストーリーを離れて、この歌だけを鑑賞すると、夢と挑戦にあふれた人生開拓・自己実現の歌のように読み取れます。 しかし映画の文脈からすると、親しみやすいメロディーに似合わず、家族を捨ててでも自分一個の富貴と享楽を追い求めるという夢を歌っていた訳です。 カポーティの原作では、こうした生き方で彼女は幸せになれるのかどうか、と疑問を投げかけています。

ニューヨークと夢

 世界中の富が集まるニューヨーク。その分け前にあずかろうとするならば、田舎からきたホリーにとって、ニューヨークはチャンスに溢れた舞台でした。 ホリーのような生き方には辟易するやりきれなさがあるのは事実です。しかし、そうした生き方を選択せざるを得なかった事情もあった訳ですし、だからこそ頑なな生き方になってしまった側面もあるはずです。

 お洒落なラブストーリーと紹介しましたが、それは表面の話。華やかでお洒落な素振りはホリー自身が生きるための方便です。 そうしなければホリーは生きられないのです。華やかな宝石店の前で朝食を立ち食いしながら、いつかはこの店のような豪華な部屋で優雅な朝食をする身分に、と日々誓い直すホリー。 その背景には激しい社会的落差や人間の心の闇も垣間見えてきます。

 いずれにしても、富貴と自由を追求する生き方をギター片手に後ろめたさを全く感じさせない表情で歌われてしまうと、こういうアメリカン・ドリームもあるのか、とさえ思えてきます。 この歌がヒットした背景には強烈な上昇志向が認められるアメリカという風土があるのでしょう。

 映画においては、ホリーが美貌と機知で富豪たちを手玉にとるように、オードリーの天真爛漫な魅力がこの映画の背景に隠されている鬱屈した空気を消し去ってくれています。 この曲は多くのアーチストがカバーしましたが、やはりオードリーが一番似合う歌なのだといえるでしょう。