楽曲紹介「Perez Barcelo(ペレス・バルセロ)」

Tb.パートの大槻です。
カテゴリ「楽曲」では、当団で取り上げている楽曲の紹介をしていきます。
第26回は、『Perez Barcelo(ペレス・バルセロ)』をご紹介します。

 スペインの国民音楽であるパソドブレのひとつに、バンド・パソドブレと呼ばれるものがあります。 その土地の名士や自然、伝統的な祭りや行事などを題材にしたもので、パレードやイベントでよく演奏されます。

 この曲もそうした曲の一つで、スペイン東部の町・ベニドルムの名士・ホセ・ペレス・バルセロを讃えるため、1972年に作曲されました。 ベニドルムは小さな町でしたが、1970年代に音楽活動が盛んになり、海外にも知られるようになりました。その立役者がペレス・バルセロなのです。

ホセ・ペレス・バルセロ

 ホセ・ペレス・バルセロJosé Pérez Barceló(1917-1993)はバレンシアにあるベニドルムで生まれました。 子供の頃から音楽に親しみ、トロンボーン奏者として町の吹奏楽部に入り活動するようになりました。

 ペレス・バルセロの功績は、1970年代からベニドルム音楽連合の会長を15年務め、ベニドルムの音楽文化を向上させたことです。 このことにより、ペレス・バルセロは後に音楽協会の「名誉会長」にも任命されました。

 また、地元の音楽専門学校・ベニドルム音楽院は「ホセ・ペレス・バルセロ音楽院」とも呼ばれます。 これも、ペレス・バルセロの音楽と文化両面での功績に感謝の意を込めて、ベニドルム市議会が決定したことによるものです。

ベニドルム音楽連合とは

 スペインは伝統的に音楽活動が盛んで、各地の町で自前のバンドを持ち運営する活動が行われています。

 ベニドルムでは1925年に市民の意向をうけ、市の協力で市バンドが作られました。これがベニドルム音楽連合Union Musical de Benidormです。

 このバンドは長い活動の歴史の中で、2つに分裂したり、スペイン内戦期には一時消滅してしまうなど、存続の危機に関わる変遷を経てきました。

 しかし、1942年に再結成されたあとは発展を遂げ、1970年代に最盛期を迎えました。 ベルナベ・サンチス・ポルタ、ラファエル・ドメネク・パルド、ホセ・フコ・ロビラ・ペレト、ジョアン・イボラなど、錚々たる指導者を得て、その活動は海外まで広がりました。 各地のコンテストでさまざまな賞を受賞したばかりでなく、TV出演やフランスなど海外での演奏、海外のバンド フェスティバルへの出演など、輝かしい足跡を残しました。

『ペレス・バルセロ』

 ベニドルム音楽連合の華々しい活動を、バンドディレクターとして支えていたのがベルナベ・サンチス・ポルタ Bernabé Sanchís Porta(1906-1992)でした。 ペレス・バルセロとベルナベ・サンチスは簡単にいうと音楽監督と楽団指揮者という関係です。

 ベルナベ・サンチスは、ホセ・ペレス・バルセロに捧げるため、パソドブレを作曲しました。その名も『ペレス・バルセロ』。 曲の前半ではペレス・バルセロが困難に向かう姿が描かれ、後半では満場の手拍子を伴って賞賛が送られます。 この曲は大きな人気を得て、スペインおよび外国のいたるところで演奏され大成功を収めました。

ベルナベ・サンチス・ポルタ

 ベルナベ・サンチスはバレンシアの音楽院で学んだあと、マドリッド王立音楽院の教授を務めました。 陸軍音楽監督、武装警察音楽隊の指導者など陸軍のバンドリーダーとして活動するほか、多くの市の楽団でもディレクターとして指導に当たりました。

 ベルナベ・サンチスは地元バレンシアを拠点として、ベニファイヨ、サグント、アルシラなど各地の市吹奏楽団に関わりました。 中でも1971年から76年にかけては、ベニドルム音楽連合のバンドディレクターを務めるほか、音楽学校の設立にかかわるなど、 ベニドルムにおける貢献は特に大きいとされています。

 ベルナベ・サンチスはパソドブレの作曲も手掛けています。 偉大な闘牛士ミゲル・バエス・リトリを讃える『ミゲリト・リトリ』というタウリン・パソドブレや『ローゼルドール』といったミリタリー・パソドブレなどがあります。

 バンド・パソドブレとしては、地元バレンシアのゆかりの町を取り上げて、そのすばらしさを讃える内容のものが見受けられます。 曲のタイトルとしても、ベニファイオやアリカンテなど各地の地名が使われることがあり、郷土愛が強かったものと想像されます。

ベニドルムと音楽

 現在のベニドルムは一大リゾート地として知られています。 もともとベニドルムは人口3,000人程度の小さな漁村でした。それが、観光地に変貌したのは1960年代以降のことです。 海岸線に沿って道路やヤシの並木が作られ、高層ビルが立ち並ぶようになりました。人口も急増し、かつての町や伝統は捨て去られてしまったようにさえ見えます。

 しかしベニドルムには、リゾートの他に誇るべきもう一つの顔が生き続けています。それはベニドルム音楽連合と市バンドに象徴される市民音楽文化です。 この町の音楽文化は世紀を超えて伝統的に受け継がれてきたものであり、リゾート開発よりずっと歴史が長いのです。 中でも1970年代はベニドルムにとって特筆すべき市バンドの栄光の時代でした。『ペレス・バルセロ』はそれを象徴する記念碑的な曲なのです。