「バンド・パソドブレ」
Tb.パートの大槻です。
カテゴリ「関連情報」では、では、当団で取り上げている楽曲に関連するマメ知識をご紹介していきます。
第10回はポピュラー・パソドブレについてをご紹介します。
スペインの国民音楽であるパソドブレのひとつに、バンド・パソドブレと呼ばれるものがあります。
バンド・パソドブレはシンフォニックバンドという大編成のバンドによって大々的に演奏されるものです。 演奏される場面は、地域の伝統的な祭りやイベントなどです。屋外でのパレードや大ホールのステージといった場所で、聴衆と一体となった演奏が繰り広げられます。
バンド・パソドブレとは
バンド・パソドブレの曲のテーマは、その土地の名士や自然、伝統的な祭りや行事など多岐にわたります。 たとえば、宗教的なお祭りや、その地域の歴史や自然を讃えるもの、その地域の功労者・有名人をテーマにしたものなどがあります。
バンド・パソドブレはコンサートのエンディングに向いている曲ばかりです。明るい曲調で盛り上がるし、大編成での演奏はやはり聴きごたえがあります。 野外フェスティバルなどの地域イベントの場で盛大に演奏され、聴衆も手拍子をしてステージと一体化して音楽に浸ります。
こういう楽しみ方は日本の演奏会ではなかなか実現し難いものです。その地域でみんなが知っていて、共有できる曲があるというのは、うらやましいことです。 音楽が本当に溶け込んでいる街だからこそできることだ、ともいえますね。
ではバンド・パソドブレの有名どころを見ていきましょう。
『Que Viva España』
曲名は「スペイン万歳」といった意味です。
1971年にベルギーの音楽家のレオ カーツLeo Caerts(Leonardus Caerts)(1931-)と作詞家のレオ ローゼンストラテンLeo Rozenstratenによって作曲されたパソドブレです。 このため、オリジナルの歌詞はフラマン語ですが、スペインではマノロ・エスコバルManolo Escobar(1931-2013)の歌で広まりました。
この曲はスペインでは準国歌の性格を帯びており、スポーツイベントでスペインのファンによって歌われているということです。 このようにイベントやフィエスタのために作曲されるのがバンド・パソドブレ。いきおい、大きな編成が要求されるのが特徴です。
『Fiesta en Benidorm』
バレンシア出身の作曲家・ラファエル・ドメネク・パルドRafael Domenech Pardo(1942-)によるパソドブレです。 ラファエル・ドメネク・パルドは1976年からは30年にわたり、バレンシアのベニドルム音楽組合とその音楽学校の指揮者として活動しました。 ベニドルム音楽組合は1925年に市民の意向をうけ市の協力で成立したベニドルムのミュージカル ユニオン(市バンド)です。
曲名は「ベニドルムの祭り」といった意味です。
バレンシア地方のベニドルムは素晴らしい海岸があるリゾート地です。以前は小さな漁村でしたが、1960年代から、保養地として開発が行われて、町は急速に発展するようになりました。
開発につれてスペイン各地から人々が集まりました。その過程でベニドルムには各地の文化が持ちこまれるようになり、いろいろなフィエスタ(お祭り)が一年を通して行われるようになったそうです。 例えば、サン・フアンの火祭り、イスラム教徒とキリスト教徒の祭り、守護聖人の祭りなどがあります。
『Feria de Manizales』
フアン・マリ・アシンJuan Mari Asins(1929-2006)が1957年に作曲したパソドブレです。
曲名は「マニサレス・フェア」といった意味です。マニサレスは南米コロンビアの首都ボゴタの西方にある都市です。ここでは、スペインのセビリアのフェア(見本市)に触発されて、「マニサレス・フェア」が毎年開催されています。 フェアの開催中は、闘牛、イベント、コンサート、パレードなどが行われるということです。
この曲はマニサレス・フェアのために作られたもので、1978年以来、法令により見本市の賛歌となっているそうです。フェアの雰囲気に合わせた明るい曲です。 コロンビアの詩人ギレルモ・ゴンザレス・オスピナによって書かれた歌詞もあるそうです。
この曲からも解るように、パソドブレはスペインだけの音楽ではありません。パソドブレは国境を越えて世界的に広まり、メキシコやプエルトリコなど中南米でも親しまれているのです。
『Paquito el Chocolatero』
バレンシア州アリカンテ生まれの作曲家・グスタボ パスクアル ファルコGustavo Pascual Falco(1909-1946)の1937年の作品です。
曲名「パキート・エル・チョコラテロ」とは「チョコレート好きな(またはチョコ職人の)パキートさん」という意味で、作曲者グスタボ パスクアル ファルコの縁者であったフランシスコ・ペレス・モリーナを指します。 パキートはフランシスコの愛称です。またフランシスコさんは、親がチョコの販売していたのでチョコラティエと呼ばれていた、というのが曲名の由来です。 正確には「チョコ屋の息子のパキートさん」という意味ですね。
バレンシア州アルコイでは毎年、「ムーア人とキリスト教徒のフェスティバル」が行われます。 ムーア人とは、中世にイベリア半島を支配していた北アフリカ系の人たちの末裔です。 15世紀のいわゆる失地回復によってムーア人はアフリカに追い返されるのですが、このときスペインにとどまる残る道を選んだ人たちです。 「ムーア人とキリスト教徒のフェスティバル」は歴史回顧と民族融和のため当時を偲んでムーア人とキリスト教徒が共同で行うお祭りです。
パキートさんはパーティー好きな人柄で、ムーア人とキリスト教徒のフェスティバルにも意を注いでいたそうです。 そこで、フェスティバルに対するパキートさんの功績を讃えるために作られたのがこの曲です。 聴いたところ、静かめな印象の曲ですが、パキートさんの人柄とか、何か理由があるのかも知れません。
アルコイ近郊の町・コセンタイナのフェスティバルで初演され、それ以来、今日でも人気の曲となっているとのことです。 このように、バンド・パソドブレにはイベントゆかりの人物や地元の名士を讃えるものがあります。
さまざまなパソドブレ
以上、4回に分けて、さまざまなパソドブレをみてきました。 ただ、この分け方は絶対的なものではないようです。
例えば「タウリン・パソドブレ」として紹介した『Suspiros de España』は「ポピュラー・パソドブレ」としてみることもできます。 元はタウリン・パソドブレでしたが人気が出て人々の間に広まるにつれ、角がとれてポピュラー・パソドブレ的な位置づけに変わることもあるわけです。 音楽は生き物。時代とともに変化する、という一例でしょう。
ミリター(軍事)・パソドブレ、タウリン(闘牛)・パソドブレ、ポピュラー・パソドブレ、そしてバンド・パソドブレ。
パソドブレは時代とともに変化してきました。いつまでも「パソドブレ=闘牛」ではありません。さて21世紀にはどんなパソドブレが出現するのでしょうか。